天気判断・進め方に関するコメント

予備日の可能性は?

・別ルートからのアミューズパーティが当日ヒサゴ小屋に宿泊することになっていたため、遭難パーティは小屋での停滞判断をあえてしなかったのではないかとの趣旨の五郎右衛門さんの意見を受けての回答

何度もすみません。
遠まわしにいろいろ書かせていただいておりますので、意図を汲んでいただけると幸いです。

五郎右衛門様

小屋に残留した第四のガイドの主目的は後続パーティの翌日の行程のサポートでしょう。また、後続パーティがくることになっていたから小屋での停滞判断がなされなかったとの推論は、上述した経験を踏まえて、違うのでは?と考えております。通常、予備日もないのに停滞の判断はありえません
すべての新聞報道による分析は「なぜ停滞しなかったのか」みたいなよくわからない説教になっており、違和感を感じています。予備日がないならば、通常はエスケープです。そうすると、その状況でより安全な退路を考えるのがガイドの役割です。ホテルバスの手配という面では天人峡ですが、若干森林限界での行動時間が長く距離もあります。風よけになる樹林帯にわりと短時間で入れる最短ルートという面では沼の原登山口がベストです。また、後続同社パーティは沼の原経由でヒサゴ沼に入ることになっているため、もし仮にエスケープの判断がなされるとすれば五色手前あたりで同社パーティ同士がすれ違う可能性のある、沼の原経由で下山することになったでしょう。

小屋の場所取りの是非についてはさしあたり別問題として議論する必要がありそうです。
http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-282より

予備日がない前提では、まずエスケープの判断が先行する

一般(私のような素人)の場合登山では「停滞するしない」は個々が任意にきめています。が、「ツアーのばあい停滞はありえない」ということですね。現状認識としてそうかもしれませんが、しかし、この現状が望ましいか、望ましくないか、という深刻な問題があるわけです。それでも「停滞はありえない」というなら、そんなツアーはやるべきではないと思いますヨ。自然相手にそんな杓子定規は通用しないでしょうから。そう考えていくと、さいごは企画側の理念を問わざる得ないとおもえます。

との意見をうけ、以下の回答

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五郎右衛門様

「ツアーの場合は停滞はありえない」のではなく、このツアーにおいて予備日を設けていないので、停滞するという選択肢はそもそも計画上存在しないということです。その日のうちに悪天でも行動可能な退路(この場合沼の原登山口経由)があるのだから停滞などしないでいいのです。新聞報道で欠落しているのは、エスケープルートの分析なのですよ。

予備日を設けていないこと自体がおかしいという話と
予備日のない計画でどう行動すべきかはまた別の話です。
予備日がない、あるいは予備日を使い果たした状況下で、検討すべきはエスケープなのです。

事実、かつて新道がなかったころはコマドリ沢の増水が心配で、一日の停滞では足りないこともあったのです。停滞日を使い果たした場合は天人峡におりるか、クッチャンベツに下山していたはずです。

杓子定規とかそういう話ではなくて、新聞報道には他の採りうる選択肢について言及が乏しいので、分析が不十分になっているということです。
http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-289より

机上でも迷う問題は山の中で適切な判断ができない

「予備日を設けていないこと自体がおかしいという話と予備日のない計画でどう行動すべきかはまた別の話です」ということですが。

山で進退窮ったときには、なにかしらの安全策をとって窮状をしのぎますが、そのことによる遅延はいたしかたありません。当然ツアーでもそうあるべきでしょう。予備日の有無にかかわらず、状況に応じて計画を変更して無事に下山できればそれでよいのです。今回のトムラウシの遭難のばあい、ツアーのパーティが16日にヒサゴ小屋にとどまっていれば、死者8人も出さずに済んだのでは。

以上の五郎右衛門さんの意見をうけての回答

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五郎右衛門様

>予備日の有無にかかわらず、状況に応じて計画を変更して無事に下山できればそれでよいのです。

登山というのは計画したとおりに行動するのが肝要です。想定しうるリスク・危険は机上で考えつくしたうえで、どういうときにどう行動すると計画のなかで決めておくべきです。「状況に応じて現場で判断する」というのは、無計画というのです。良識ある山岳会なら、そのような考え方のリーダーは育成しません。そういうことができる限りないように、登山計画というのを綿密に組み立てる必要があるのです。現場でいちいち考えなくてもいいように、里で考えうることは里でシミュレーションしておく、これが登山計画作成の鉄則です。

予備食料もないのに停滞したとして、翌日も天気が好転しなかったらどうするのです?またもう一泊して、あくまで前進するのですか?本州の社会人が穂高などの冬山でたまにやらかすように停滞して携帯電話で小屋から救助を呼ぶのですか?違いますよね。

当日の朝の判断としては、より安全なルートで速やかに下山する計画であるべきなのです。
問題は退路を考慮した計画だったのかどうかなんですよね。
もちろん、当日の天気が五色方面に進むのも厳しいような天候であれば停滞せざるを得ません

また、トムラウシ山を乗っこせると判断して小屋を出たあとに、当事者の主観としては予想外に悪天につかまりますが、そこで判断地を設けたかどうか。
その時点での判断は場所・時間によっては小屋に引き返すという選択肢はありえますが、これは計画外の判断というべきです。ガイドの真の腕は、この計画で予期していない事態が発生したときに発揮されるものですが、これこそ「計画変更」の事態です。このときの巧拙をプロでもない人間がそれほど強く責めることができましょうか。
計画が未熟であったことと、計画外の緊急事態での対処がどうであったかは一応わけて考察する必要があります。

エスケープルート、が成立するかどうかは、私にはわかりません。
とのことですが、報道にありませんのでご存知なくて当然です。しかし20年近く北海道の山を登ってますので、私にはわかります。私の経験から言わせてもらいますと、針葉樹の限界は天人峡方面で1250〜1300m、沼の原方面で1400mくらいです。また沼の原方面は全体として登山路もナナカマドやハイマツなどが背丈ほどに茂るトンネル状で風雨の中歩く場合でも消耗が少ないですね。また神遊びの庭付近も緩く尾根を回りこんでいるため、少なくとも当日の風向き(天人峡方面からの吹き上げ)を考慮すれば風当たりも少ないです。
所詮、匿名でためらいがちに話していることですので、半信半疑にとらえてもらってもかまいませんが、一応、サイド情報として覚えておいていただければと思います。
http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-292より

五郎右衛門様には少し言い過ぎてしまい大変反省しております。

silvaplauna様
今回の事故は、まさに多田くんがガイドとして成長してゆく途上の悲しい出来事でした。彼には当然法的な非難は向けられるでしょうけれど、同時に一日も早くこの敗北を胸に立ち直ってほしいと思っています。
http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-298より