パーティ評価に関するコメント

リーダーは現場でパーティの評価のアップデートに努めたか、弱い人の言葉に耳を傾けたか

今回の事故は,いろいろな要因があると思いますが,防止には,「先導者である山のプロのガイドがそうでない人への理解を深めることが必要である」と思います。・・・中略・・・
「登山のプロであるガイドだけで出された結論=悪天候でも出発する」は,<登山家だけの間>では、ある意味「当然取るべき結論」であると言えると思います。

ただし、あくまでも<登山家だけに通用する結論>であり,いろんな力量の混ざったその他大勢のグループには通用しなかったということだと思います。

だからこそ,わたしは,「登山のプロが,登山ではこれが常識だ」と主張して,素人とのギャップを埋めない限り,事故はなくならないと思います。
http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-318より

とのローズさんの意見を受けてのコメント

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ローズさま

ご趣旨ごもっともです。実際ローズさんと全く同じお言葉をツアーの参加者の人たちから聞くことが多いです。私の山好きの叔母さんも同じことをいっておりました。
五郎右衛門さんとのやり取りのなかで、私は、エスケープがあるのだから、停滞など考える必要ないかのような発言をしておりますが、明らかに言いすぎです。これはやはりリアルタイムのパーティ評価を踏まえた天気基準であるべきですね。

もしリーダーがパーティの評価を怠って、パーティの行動能力が計画時と変わらないと信じて、計画通りに動いてしまったら、それはリーダーの過失といえるでしょう。ただ、私のルート・天気イメージでは、エスケープもできないほどパーティの能力が劣化している事態というのはただことではないです。本当にそんな事態であったかどうかは疑問が残る、というのが正直な感想ではあります。

しかし、同時に事前の計画をよく練るというのも重要です。よくできた登山計画というのは、パーティの行動変容も織り込んで計画を作るものです。たとえば行動時間が長くなれば、弱者の疲労も織り込んで、天気基準をあらかじめ安全側に設定したりするものです。そういう意味で、計画時点で安全を担保しうる領域というのは、かなり広いのです。

ところで、具体的に、遭難パーティの抱いていた計画とはなんだったか、というと、これは恐らく、3名のガイドの頭のなかにしかなかったというほかありません。なぜなら、私も経験上、いろんなツアーをみておりますが、企画会社は登山計画を検討する能力が極めて低いのです。ようするに、極端な話、行程表ぺら一枚を計画だと勘違いしているふしがあります。少なくともアウトソーシングされたガイドは、渡された行程表だけから、本来あるべき計画を推測し、再構築しないといけない不幸な状況にあるように私は思います。

本来、プランニングなどというのは、計画実施前にとっくに共有されていなければならないものですが、とりわけ今回の遭難パーティの場合、ことによると、ガイド3名自体も初顔合わせであり、前日のホテルで計画の打合せをした程度かもしれません。これはアミューズだけを責めている問題ではなく、他のほとんどのツアー会社も同罪です。行程表だけを渡して、あとはガイドの好きにやっていいというのであれば、それは、ガイドが登山計画をするも同然です。

企画会社が計画の目録だけをつくり、ブレイクダウンをガイド任せにするのは、それはそれでリスク要因です。
なぜなら、第一に、プランニングまでするとなればそれだけで負担であること、第二に、ガイドがその場でプランニングし、即実行する、とすれば独裁者と同じ暴走の危険をはらむからです。

これは完全に別項で論じるべきことになりますが、私は、吉川さんと多田くん、そして松本さんの三人がどういう権力関係にあったのかをもう少し具体的に知りたいです。

生還された戸田さんの証言に「リーダーシップをとれる人間がいなかった」とあります。これは、多田くんを知る私にとって、めちゃくちゃに突き刺さる言葉だったのです。これについてはまた改めて。
http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-329より

北沼到着時点でガイド三名はリーダーシップをとれる状態にあったのか

以下、ローズさんより遭難時のリーダーシップがなぜ適切に機能しなかったのかについてのご意見をうけました。

swanslabさま
お返事ありがとうございます。
当事者にとても近い立場で精神的にも辛いところで,的確な情報を寄せてくださって,本当にありがたいと思います。

わたしは,swanslabさんのご意見は基本的にもっともだと思います。登山家グループでは、当然出される結論と行動であることは、同じ行程をたどって遭難しなかった別のグループの存在で,証明されていると思います。

ただし,今回は,先にあげた朝日新聞の報道*1が本当なら,「出発前から健康と体力の不安を訴えていた複数の客」がいたようですので,エスケープルートを辿っていたら全員が何事もなく下山できたかは疑問に思います。

そして,「力量以上の山でもガイドがいるから大丈夫」というような前提なら,「エスケープもできないほどパーティの能力が劣化」もあり得ると思います。

テントの中で救出されて助かった女性は,「前日も一日雨に降られ濡れながら歩いた」とテレビで証言されていました。またその方は,同じインタビューで「自分は以前北海道の登山ツアーに参加して,その時も相当寒かったので,寒さ対策は万全できた」とも証言されています。

それが真実であるなら,装備の悪い方は、寒さ対策も不備で,前日も夜も濡れて過ごし,急激に,かつ相当に疲労されていたと思います。

ただし,全員だとは思いません。

比較的濡れなかった方もおられるでしょうし,避難小屋でも場所によって環境がずいぶん違うと思いますから,身体を休められた方もおられると思います。また,元々体力があって,そこまで疲労されなかった方もおられると思います。

ただし,これも全員ではなかった。ということなんだろうと思いますが、今後,ぜひ明らかになってほしいと思います。

せめて「出発前に,健康や体力が不安で,停滞を申し入れた人」だけでも,停滞できなかったかなと思います。

>生還された戸田さんの証言に「リーダーシップをとれる人間がいなかった」とあります。

わたしも,その点は疑問でした。そして、先の新聞報道でも,「山頂付近で停滞した時,ツアー客が救助要請をしたのに,ガイドが要請しなかった」とあります。

どうしてなんだろうと思っていましたが,これは、こちらのページでご紹介していただいた「低体温症」のページ

http://www5.ocn.ne.jp/~yoshi515/teitaion.html

を拝見すると,ガイドの方達は既に「軽度の低体温症」にかかっていた可能性があると思います。

そちらのページによると,

「軽症(35〜33度)  無関心状態、すぐ眠る。歩行よろめく。口ごもる話しぶり。ふるえ最大。(協力的にみえて協力的でない。まともそうに見えてまともでない。)」

つまり,まともそうに見えても,もうちゃんとした判断力がなかったのではと思うのです。

ガイドの方は,当然参加者より荷物も多く,自分よりツアー客の方を何かと優先していたと思います。つまり,同じ行程を取っていても,負荷は大きかったのではないかと思います。

ですから,一部のツアー客は自力下山できたのに対し,ガイドで自力下山できた方はおられなかったのではないかと思います。

救助にあたった自衛隊の証言は,「亡くなった方は全員薄着であった」とありますが,ガイドである吉川さんも薄着であったなら,それもどうしてだろうと思うのです。わたしは、誰かに自分の装備を貸したのではないかと思ってしまいます。

そして,(ガイドとしてはそういう発想はなかったと思いますが,)付き添いをやめてご自分だけでも避難小屋に戻れば,命は助かったのでは,とまで思ってしまいます。

吉川さんを良く知る方のコメントとして,「あの人は,一番危険なところに,最後まで残る人だから,誰かの身代わりで死んだんだろう。」という報道がされていました。

何度も遭難を防げたかもしれないタイミングで,遭難の方へ選択をした結果の事故であると思います。しかし,ひとたび遭難した後の判断として,「一緒に死ぬのがガイド(山のプロ)としての責任の取り方」ではなく「自分を含め一人でも死者を出さない。最悪自分だけでも生き残る」というのが,本当の責任の取り方だと思うのです。

今後,一人でも亡くなる方が減ってほしいと思い書きました。

こちらのページも,swanslabさんのご意見も,これから登山ツアーに参加しようとしている人にとっては,必要最低限の知識だと思います。

大変だと思いますが,これからもご指導していただければと思います。
ありがとうございました。
http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-333より

以上を受けたコメントは以下のとおり

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ローズ様

ご教示いただきました朝日の記事および戸田さんよりのご回答をあわせて考えますと、ローズさんが分析されているように、二つのことが改めて浮かび上がってきます。

1.リーダースタッフは小屋出発時点で、体調の悪いお客さんの状況もふくめ、パーティの行動能力を過大評価していた疑いがある。
2.少なくとも北沼の時点で、すでにリーダースタッフは軽度の低体温症に罹患しており、正常な判断能力を欠いていた疑いがある。

「リーダーシップをとれる人間がいなかった」という戸田さんの証言はあまりにリアルな証言であり、忘れることができない言葉です。

1979年3月に北海道大学山岳部が知床山地で吹き溜まりのテントを救出中にリーダースタッフが疲労凍死した事故を思い起こします。この事故では救助を呼びに下山した下級生のみが生還しています。このときの教訓は適切なテント設営場所の選定とともに、「余裕がなくなってからでは判断が遅い。余裕がなくなる前になんとかしろ」というものです。
この教訓は、あらゆる危機管理でいえることで、例をかえると、アフリカやアジア地域ではマラリア罹患のリスクがありますが、以前、現地の保健担当に相談した際、「まず強力な解熱剤を飲んで判断能力を回復させることです。先にそれをしないと病院にいくという判断すらできなくなりますよ。」との答えががえってきたことがあります。

それから
>最悪自分だけでも生き残る」というのが,本当の責任の取り方

これは、1962年暮れに発生した北海道学芸大函館分校山岳部の大雪山系遭難事例を想起させられます。悪天候でテントが崩壊し、その後いろいろ努力するものの、最終的にはチリジリバラバラになって下山、メンバー10名死亡、リーダー1人が旭岳付近の森林帯から生還した事例です。
この事故については『北の山の栄光と悲劇』滝本幸夫著(絶版?)ならびに『凍れるいのち』川嶋康男 / 柏艪舎に詳しいです。後者はまだ読んでいません。

私自身だったらリーダーになんと語りかけるでしょう。10日前、8名の尊い命を失うという壮絶な体験をした多田くんに、私はかける言葉を完全に失っておりました。留守電にメッセージを残したものの、言葉にならずほとんど沈黙のメッセージとなってしまいました。
http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-334

上記のコメントを書いた後,戸田さんの証言を拝見しました。こちらも,壮絶で,ひとつひとつが重く,衝撃を受けました。大変な思いをされて生還されたばかりなのに,こうやって状況を話してくださることについては,本当に頭が下がります。

それでも,多田さんにまずかける言葉は,わたしだったら

「生きててよかった」
「よく無事に帰って来た」

ではないかと思います…。

とのローズさんのコメントをうけての回答

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ローズ様

戸田さんは非常に勇気のあるお方だと思います。
恐らくインターネットの片隅では、名前は出さずにぽつぽつと断片的にお書きになっている生存者の方もいらっしゃると思います。しかし公開され、セカンドレイプさながらに、根拠のない侮蔑や非難にさらされることを覚悟したうえで証言できるというのは、実際には大変なことだと思います。

戸田さんがどうやってサバイバルしてきたか、の生々しい証言は必ずやこれから登山をしようというすべての人の心に残るものだと思います。

多田くんにはこの事故を多くの命を失った悲しみから私たちへの教訓へとして昇華する責任があります。
いまは敗北感で打ちひしがれ、たまらなくつらく、苦しいときでしょう。しかしそんな敗北者にしかできない仕事もあります。そのことにいつか思い至って、歩き始めることを願っています。
http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-338より

*1:スワン注:複数客、出発前にガイドに「中止を」 大雪山系遭難 http://www.asahi.com/national/update/0719/TKY200907190369.html