パーティ評価に関するコメント

リーダーは現場でパーティの評価のアップデートに努めたか、弱い人の言葉に耳を傾けたか

今回の事故は,いろいろな要因があると思いますが,防止には,「先導者である山のプロのガイドがそうでない人への理解を深めることが必要である」と思います。・・・中略・・・
「登山のプロであるガイドだけで出された結論=悪天候でも出発する」は,<登山家だけの間>では、ある意味「当然取るべき結論」であると言えると思います。

ただし、あくまでも<登山家だけに通用する結論>であり,いろんな力量の混ざったその他大勢のグループには通用しなかったということだと思います。

だからこそ,わたしは,「登山のプロが,登山ではこれが常識だ」と主張して,素人とのギャップを埋めない限り,事故はなくならないと思います。
http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-318より

とのローズさんの意見を受けてのコメント

  • -

ローズさま

ご趣旨ごもっともです。実際ローズさんと全く同じお言葉をツアーの参加者の人たちから聞くことが多いです。私の山好きの叔母さんも同じことをいっておりました。
五郎右衛門さんとのやり取りのなかで、私は、エスケープがあるのだから、停滞など考える必要ないかのような発言をしておりますが、明らかに言いすぎです。これはやはりリアルタイムのパーティ評価を踏まえた天気基準であるべきですね。

もしリーダーがパーティの評価を怠って、パーティの行動能力が計画時と変わらないと信じて、計画通りに動いてしまったら、それはリーダーの過失といえるでしょう。ただ、私のルート・天気イメージでは、エスケープもできないほどパーティの能力が劣化している事態というのはただことではないです。本当にそんな事態であったかどうかは疑問が残る、というのが正直な感想ではあります。

しかし、同時に事前の計画をよく練るというのも重要です。よくできた登山計画というのは、パーティの行動変容も織り込んで計画を作るものです。たとえば行動時間が長くなれば、弱者の疲労も織り込んで、天気基準をあらかじめ安全側に設定したりするものです。そういう意味で、計画時点で安全を担保しうる領域というのは、かなり広いのです。

ところで、具体的に、遭難パーティの抱いていた計画とはなんだったか、というと、これは恐らく、3名のガイドの頭のなかにしかなかったというほかありません。なぜなら、私も経験上、いろんなツアーをみておりますが、企画会社は登山計画を検討する能力が極めて低いのです。ようするに、極端な話、行程表ぺら一枚を計画だと勘違いしているふしがあります。少なくともアウトソーシングされたガイドは、渡された行程表だけから、本来あるべき計画を推測し、再構築しないといけない不幸な状況にあるように私は思います。

本来、プランニングなどというのは、計画実施前にとっくに共有されていなければならないものですが、とりわけ今回の遭難パーティの場合、ことによると、ガイド3名自体も初顔合わせであり、前日のホテルで計画の打合せをした程度かもしれません。これはアミューズだけを責めている問題ではなく、他のほとんどのツアー会社も同罪です。行程表だけを渡して、あとはガイドの好きにやっていいというのであれば、それは、ガイドが登山計画をするも同然です。

企画会社が計画の目録だけをつくり、ブレイクダウンをガイド任せにするのは、それはそれでリスク要因です。
なぜなら、第一に、プランニングまでするとなればそれだけで負担であること、第二に、ガイドがその場でプランニングし、即実行する、とすれば独裁者と同じ暴走の危険をはらむからです。

これは完全に別項で論じるべきことになりますが、私は、吉川さんと多田くん、そして松本さんの三人がどういう権力関係にあったのかをもう少し具体的に知りたいです。

生還された戸田さんの証言に「リーダーシップをとれる人間がいなかった」とあります。これは、多田くんを知る私にとって、めちゃくちゃに突き刺さる言葉だったのです。これについてはまた改めて。
http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-329より

北沼到着時点でガイド三名はリーダーシップをとれる状態にあったのか

以下、ローズさんより遭難時のリーダーシップがなぜ適切に機能しなかったのかについてのご意見をうけました。

swanslabさま
お返事ありがとうございます。
当事者にとても近い立場で精神的にも辛いところで,的確な情報を寄せてくださって,本当にありがたいと思います。

わたしは,swanslabさんのご意見は基本的にもっともだと思います。登山家グループでは、当然出される結論と行動であることは、同じ行程をたどって遭難しなかった別のグループの存在で,証明されていると思います。

ただし,今回は,先にあげた朝日新聞の報道*1が本当なら,「出発前から健康と体力の不安を訴えていた複数の客」がいたようですので,エスケープルートを辿っていたら全員が何事もなく下山できたかは疑問に思います。

そして,「力量以上の山でもガイドがいるから大丈夫」というような前提なら,「エスケープもできないほどパーティの能力が劣化」もあり得ると思います。

テントの中で救出されて助かった女性は,「前日も一日雨に降られ濡れながら歩いた」とテレビで証言されていました。またその方は,同じインタビューで「自分は以前北海道の登山ツアーに参加して,その時も相当寒かったので,寒さ対策は万全できた」とも証言されています。

それが真実であるなら,装備の悪い方は、寒さ対策も不備で,前日も夜も濡れて過ごし,急激に,かつ相当に疲労されていたと思います。

ただし,全員だとは思いません。

比較的濡れなかった方もおられるでしょうし,避難小屋でも場所によって環境がずいぶん違うと思いますから,身体を休められた方もおられると思います。また,元々体力があって,そこまで疲労されなかった方もおられると思います。

ただし,これも全員ではなかった。ということなんだろうと思いますが、今後,ぜひ明らかになってほしいと思います。

せめて「出発前に,健康や体力が不安で,停滞を申し入れた人」だけでも,停滞できなかったかなと思います。

>生還された戸田さんの証言に「リーダーシップをとれる人間がいなかった」とあります。

わたしも,その点は疑問でした。そして、先の新聞報道でも,「山頂付近で停滞した時,ツアー客が救助要請をしたのに,ガイドが要請しなかった」とあります。

どうしてなんだろうと思っていましたが,これは、こちらのページでご紹介していただいた「低体温症」のページ

http://www5.ocn.ne.jp/~yoshi515/teitaion.html

を拝見すると,ガイドの方達は既に「軽度の低体温症」にかかっていた可能性があると思います。

そちらのページによると,

「軽症(35〜33度)  無関心状態、すぐ眠る。歩行よろめく。口ごもる話しぶり。ふるえ最大。(協力的にみえて協力的でない。まともそうに見えてまともでない。)」

つまり,まともそうに見えても,もうちゃんとした判断力がなかったのではと思うのです。

ガイドの方は,当然参加者より荷物も多く,自分よりツアー客の方を何かと優先していたと思います。つまり,同じ行程を取っていても,負荷は大きかったのではないかと思います。

ですから,一部のツアー客は自力下山できたのに対し,ガイドで自力下山できた方はおられなかったのではないかと思います。

救助にあたった自衛隊の証言は,「亡くなった方は全員薄着であった」とありますが,ガイドである吉川さんも薄着であったなら,それもどうしてだろうと思うのです。わたしは、誰かに自分の装備を貸したのではないかと思ってしまいます。

そして,(ガイドとしてはそういう発想はなかったと思いますが,)付き添いをやめてご自分だけでも避難小屋に戻れば,命は助かったのでは,とまで思ってしまいます。

吉川さんを良く知る方のコメントとして,「あの人は,一番危険なところに,最後まで残る人だから,誰かの身代わりで死んだんだろう。」という報道がされていました。

何度も遭難を防げたかもしれないタイミングで,遭難の方へ選択をした結果の事故であると思います。しかし,ひとたび遭難した後の判断として,「一緒に死ぬのがガイド(山のプロ)としての責任の取り方」ではなく「自分を含め一人でも死者を出さない。最悪自分だけでも生き残る」というのが,本当の責任の取り方だと思うのです。

今後,一人でも亡くなる方が減ってほしいと思い書きました。

こちらのページも,swanslabさんのご意見も,これから登山ツアーに参加しようとしている人にとっては,必要最低限の知識だと思います。

大変だと思いますが,これからもご指導していただければと思います。
ありがとうございました。
http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-333より

以上を受けたコメントは以下のとおり

  • -

ローズ様

ご教示いただきました朝日の記事および戸田さんよりのご回答をあわせて考えますと、ローズさんが分析されているように、二つのことが改めて浮かび上がってきます。

1.リーダースタッフは小屋出発時点で、体調の悪いお客さんの状況もふくめ、パーティの行動能力を過大評価していた疑いがある。
2.少なくとも北沼の時点で、すでにリーダースタッフは軽度の低体温症に罹患しており、正常な判断能力を欠いていた疑いがある。

「リーダーシップをとれる人間がいなかった」という戸田さんの証言はあまりにリアルな証言であり、忘れることができない言葉です。

1979年3月に北海道大学山岳部が知床山地で吹き溜まりのテントを救出中にリーダースタッフが疲労凍死した事故を思い起こします。この事故では救助を呼びに下山した下級生のみが生還しています。このときの教訓は適切なテント設営場所の選定とともに、「余裕がなくなってからでは判断が遅い。余裕がなくなる前になんとかしろ」というものです。
この教訓は、あらゆる危機管理でいえることで、例をかえると、アフリカやアジア地域ではマラリア罹患のリスクがありますが、以前、現地の保健担当に相談した際、「まず強力な解熱剤を飲んで判断能力を回復させることです。先にそれをしないと病院にいくという判断すらできなくなりますよ。」との答えががえってきたことがあります。

それから
>最悪自分だけでも生き残る」というのが,本当の責任の取り方

これは、1962年暮れに発生した北海道学芸大函館分校山岳部の大雪山系遭難事例を想起させられます。悪天候でテントが崩壊し、その後いろいろ努力するものの、最終的にはチリジリバラバラになって下山、メンバー10名死亡、リーダー1人が旭岳付近の森林帯から生還した事例です。
この事故については『北の山の栄光と悲劇』滝本幸夫著(絶版?)ならびに『凍れるいのち』川嶋康男 / 柏艪舎に詳しいです。後者はまだ読んでいません。

私自身だったらリーダーになんと語りかけるでしょう。10日前、8名の尊い命を失うという壮絶な体験をした多田くんに、私はかける言葉を完全に失っておりました。留守電にメッセージを残したものの、言葉にならずほとんど沈黙のメッセージとなってしまいました。
http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-334

上記のコメントを書いた後,戸田さんの証言を拝見しました。こちらも,壮絶で,ひとつひとつが重く,衝撃を受けました。大変な思いをされて生還されたばかりなのに,こうやって状況を話してくださることについては,本当に頭が下がります。

それでも,多田さんにまずかける言葉は,わたしだったら

「生きててよかった」
「よく無事に帰って来た」

ではないかと思います…。

とのローズさんのコメントをうけての回答

  • -

ローズ様

戸田さんは非常に勇気のあるお方だと思います。
恐らくインターネットの片隅では、名前は出さずにぽつぽつと断片的にお書きになっている生存者の方もいらっしゃると思います。しかし公開され、セカンドレイプさながらに、根拠のない侮蔑や非難にさらされることを覚悟したうえで証言できるというのは、実際には大変なことだと思います。

戸田さんがどうやってサバイバルしてきたか、の生々しい証言は必ずやこれから登山をしようというすべての人の心に残るものだと思います。

多田くんにはこの事故を多くの命を失った悲しみから私たちへの教訓へとして昇華する責任があります。
いまは敗北感で打ちひしがれ、たまらなくつらく、苦しいときでしょう。しかしそんな敗北者にしかできない仕事もあります。そのことにいつか思い至って、歩き始めることを願っています。
http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-338より

*1:スワン注:複数客、出発前にガイドに「中止を」 大雪山系遭難 http://www.asahi.com/national/update/0719/TKY200907190369.html

天気判断・進め方に関するコメント

予備日の可能性は?

・別ルートからのアミューズパーティが当日ヒサゴ小屋に宿泊することになっていたため、遭難パーティは小屋での停滞判断をあえてしなかったのではないかとの趣旨の五郎右衛門さんの意見を受けての回答

何度もすみません。
遠まわしにいろいろ書かせていただいておりますので、意図を汲んでいただけると幸いです。

五郎右衛門様

小屋に残留した第四のガイドの主目的は後続パーティの翌日の行程のサポートでしょう。また、後続パーティがくることになっていたから小屋での停滞判断がなされなかったとの推論は、上述した経験を踏まえて、違うのでは?と考えております。通常、予備日もないのに停滞の判断はありえません
すべての新聞報道による分析は「なぜ停滞しなかったのか」みたいなよくわからない説教になっており、違和感を感じています。予備日がないならば、通常はエスケープです。そうすると、その状況でより安全な退路を考えるのがガイドの役割です。ホテルバスの手配という面では天人峡ですが、若干森林限界での行動時間が長く距離もあります。風よけになる樹林帯にわりと短時間で入れる最短ルートという面では沼の原登山口がベストです。また、後続同社パーティは沼の原経由でヒサゴ沼に入ることになっているため、もし仮にエスケープの判断がなされるとすれば五色手前あたりで同社パーティ同士がすれ違う可能性のある、沼の原経由で下山することになったでしょう。

小屋の場所取りの是非についてはさしあたり別問題として議論する必要がありそうです。
http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-282より

予備日がない前提では、まずエスケープの判断が先行する

一般(私のような素人)の場合登山では「停滞するしない」は個々が任意にきめています。が、「ツアーのばあい停滞はありえない」ということですね。現状認識としてそうかもしれませんが、しかし、この現状が望ましいか、望ましくないか、という深刻な問題があるわけです。それでも「停滞はありえない」というなら、そんなツアーはやるべきではないと思いますヨ。自然相手にそんな杓子定規は通用しないでしょうから。そう考えていくと、さいごは企画側の理念を問わざる得ないとおもえます。

との意見をうけ、以下の回答

    •  

五郎右衛門様

「ツアーの場合は停滞はありえない」のではなく、このツアーにおいて予備日を設けていないので、停滞するという選択肢はそもそも計画上存在しないということです。その日のうちに悪天でも行動可能な退路(この場合沼の原登山口経由)があるのだから停滞などしないでいいのです。新聞報道で欠落しているのは、エスケープルートの分析なのですよ。

予備日を設けていないこと自体がおかしいという話と
予備日のない計画でどう行動すべきかはまた別の話です。
予備日がない、あるいは予備日を使い果たした状況下で、検討すべきはエスケープなのです。

事実、かつて新道がなかったころはコマドリ沢の増水が心配で、一日の停滞では足りないこともあったのです。停滞日を使い果たした場合は天人峡におりるか、クッチャンベツに下山していたはずです。

杓子定規とかそういう話ではなくて、新聞報道には他の採りうる選択肢について言及が乏しいので、分析が不十分になっているということです。
http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-289より

机上でも迷う問題は山の中で適切な判断ができない

「予備日を設けていないこと自体がおかしいという話と予備日のない計画でどう行動すべきかはまた別の話です」ということですが。

山で進退窮ったときには、なにかしらの安全策をとって窮状をしのぎますが、そのことによる遅延はいたしかたありません。当然ツアーでもそうあるべきでしょう。予備日の有無にかかわらず、状況に応じて計画を変更して無事に下山できればそれでよいのです。今回のトムラウシの遭難のばあい、ツアーのパーティが16日にヒサゴ小屋にとどまっていれば、死者8人も出さずに済んだのでは。

以上の五郎右衛門さんの意見をうけての回答

  • -

五郎右衛門様

>予備日の有無にかかわらず、状況に応じて計画を変更して無事に下山できればそれでよいのです。

登山というのは計画したとおりに行動するのが肝要です。想定しうるリスク・危険は机上で考えつくしたうえで、どういうときにどう行動すると計画のなかで決めておくべきです。「状況に応じて現場で判断する」というのは、無計画というのです。良識ある山岳会なら、そのような考え方のリーダーは育成しません。そういうことができる限りないように、登山計画というのを綿密に組み立てる必要があるのです。現場でいちいち考えなくてもいいように、里で考えうることは里でシミュレーションしておく、これが登山計画作成の鉄則です。

予備食料もないのに停滞したとして、翌日も天気が好転しなかったらどうするのです?またもう一泊して、あくまで前進するのですか?本州の社会人が穂高などの冬山でたまにやらかすように停滞して携帯電話で小屋から救助を呼ぶのですか?違いますよね。

当日の朝の判断としては、より安全なルートで速やかに下山する計画であるべきなのです。
問題は退路を考慮した計画だったのかどうかなんですよね。
もちろん、当日の天気が五色方面に進むのも厳しいような天候であれば停滞せざるを得ません

また、トムラウシ山を乗っこせると判断して小屋を出たあとに、当事者の主観としては予想外に悪天につかまりますが、そこで判断地を設けたかどうか。
その時点での判断は場所・時間によっては小屋に引き返すという選択肢はありえますが、これは計画外の判断というべきです。ガイドの真の腕は、この計画で予期していない事態が発生したときに発揮されるものですが、これこそ「計画変更」の事態です。このときの巧拙をプロでもない人間がそれほど強く責めることができましょうか。
計画が未熟であったことと、計画外の緊急事態での対処がどうであったかは一応わけて考察する必要があります。

エスケープルート、が成立するかどうかは、私にはわかりません。
とのことですが、報道にありませんのでご存知なくて当然です。しかし20年近く北海道の山を登ってますので、私にはわかります。私の経験から言わせてもらいますと、針葉樹の限界は天人峡方面で1250〜1300m、沼の原方面で1400mくらいです。また沼の原方面は全体として登山路もナナカマドやハイマツなどが背丈ほどに茂るトンネル状で風雨の中歩く場合でも消耗が少ないですね。また神遊びの庭付近も緩く尾根を回りこんでいるため、少なくとも当日の風向き(天人峡方面からの吹き上げ)を考慮すれば風当たりも少ないです。
所詮、匿名でためらいがちに話していることですので、半信半疑にとらえてもらってもかまいませんが、一応、サイド情報として覚えておいていただければと思います。
http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-292より

五郎右衛門様には少し言い過ぎてしまい大変反省しております。

silvaplauna様
今回の事故は、まさに多田くんがガイドとして成長してゆく途上の悲しい出来事でした。彼には当然法的な非難は向けられるでしょうけれど、同時に一日も早くこの敗北を胸に立ち直ってほしいと思っています。
http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-298より

ルート評価についてのコメント

生還者数名がコマドリ沢〜登山口まで8時間かかっている理由

もっとも早くに下山できた前田和子さんでさえ、コマドリ沢分岐付近で遭難の第一報を発してから、短縮登山口まで8時間もかかっていますが、これほどまでに時間がかかった最大の要因は何だと考えられますか?体力の消耗のせいでしょうか。それとも雨で足場が悪かったせいでしょうか。

7月24日付のOPTさんのコメントをうけての回答

  • -

OTT様

想像にすぎませんが、さしあたってルートの問題と夜間の行動の二つが疲労に加えて寄与しているものと考えられます。

コマドリ沢より新道に入ると、急な登りが一時間ほどつづきます。この道は、かつて沢沿いの旧道が相次ぐ増水遭難事故のため閉鎖になり、あらたに開拓されたもので、開拓当初は根曲がり竹の斜面を無理やり切り開いたような、ルートとしてはできばえが非常に悪いものという印象があります。
今はどうかわかりませんが、開拓当初は、下手に転倒すると根曲がりの鋭利な切り口で服や体を突き刺す危険があると注意がなされていました。
そのうえ、カムイ天上付近で旧道と合流するのですが、このあたりは昔から雨が降ると、ベトナム戦争のようなぬかるみになることで悪名高い場所でした。登山道はV字状の深い溝になり、ときには急な下り坂をじょぼじょぼと水が流れている有様です。藪をつかんで脇をへつっていく上半身の体力がときには必要です。
このルートを命からがら降りてきた高齢者がヘッドライトを頼りに歩くとすれば、何度となく転倒することは容易に想像ができるわけで、転倒するたびに、消耗し、体を休め、足の歩みは逡巡し慎重にならざるをえず、生還して発見されたときの格好が泥だらけであったのは、このときの格闘を物語っていると思われます。

そのほか足の怪我などの要因もあったかもわかりませんね。
http://subeight.wordpress.com/2009/07/24/matumoto-hitoshi/#comment-280より

エスケープルートの選択肢と予備日の可能性について

7月24日付
はじめまして。
精密な事実の整理と考察、大変参考になります。
私もこの件に関して、関係者の話も聞く機会があったため、ある程度の分析や所見はもっています。ただ、それだけに、あまりに身近すぎて、書くにかけず、主観が邪魔して何一つかけません。とくに三人のリーダーシップはどういうものだったのか。生還した多田君や松本さんには真実を語ってほしいと願っています。

かつては、このルートの縦走はパーティ評価の判断よりも山越えのルート判断もまた難しいと考えられていました
なぜなら、大雨が降ると、短時間のうちにコマドリ沢に集水され、それより先の渡渉が増水により困難になる可能性があるからです。実際、かつてリーダークラスの岳人の間で第二の難所とされていたのは、森林限界を下がったコマドリ沢の増水でした。実際、かつては増水した沢に飲まれて死亡する事故が相次いでおりました。
ですから、ヒサゴ沼の小屋ないしカウン分岐でのっこすか、引き返すか、エスケープするかの最終判断をする際、雨の状況次第では沼の原登山口(あるいは天人峡温泉エスケープする選択肢がかなり現実的なものとしてリーダーの頭の中にはあったものです。しかも最終判断地での待ち時間は長い行程を考えれば長くて 30分程度。いけるところまでいってみようみたいな、場当たり的な判断は許されず、即断しないといけませんでした。
いいかえれば、世間でツアー登山の落とし穴みたいにいわれているような、日程固定のプレッシャーによる判断のゆがみよりも、増水事故の可能性のほうがリーダーの判断を拘束しており、パーティ評価で頭を悩ます以前に、かえって増水を根拠にしてにエスケープの論理をたてやすかった記憶があります。

しかし、今では新道ができたためか、ルートを理由にヒサゴ沼でエスケープする判断をしにくくなっているのかもしれませんね。
http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/#comment-278より

silvaplaunaさんの考察をうけて、エスケープルート評価・時間等についての回答

silvaplauna様

本来ならこちらからきちんとした情報提供すべきところ、大変失礼しております。

記憶ですが、ツアーの時間読みで、だいたい
小屋→カウン岳手前分岐(1・5h)
カウン岳手前分岐→五色岳(1・5h)
五色岳→五色の水場(2h)
五色の水場→沼の原入り口(1・5h)
沼の原入り口→クッチャンベツ登山口(2h)
と記憶しております。
しかし、風雨を加味すると、弱い人がいればプラス3時間くらいみるべきでしょう。トータル11・5時間です。決して楽とはいえないエスケープです。

天人峡の時間読みはだいたいsilvaplauna さんのご考察のとおりです。

ただ経験的に、天人峡とどちらが負担が少ないかといえば、平坦な道の多い沼の原経由です。本件であれば風を背に歩けるのでよりベターでしょう。

しかし、通常、コマドリ沢旧道コースの危険をさけてエスケープするパーティのほとんどは天人峡に下る選択をしていたと思います。なぜなら、それだけの雨量になると沼の原コースは木道がついているとはいえ、水位に不安を覚えるはずです。実際には、そんなには増えないのですが。また、天人峡には公共の交通機関があり温泉もあるからです。添乗員やガイドにはホテル代バス代と頭の痛い問題が待ち構えていますが、温泉で疲れを取るのもやはり重要です。
一方、クッチャンベツ登山口はゲートのある林道の終点で国道に出るまで8km程度は歩かなければならなりません。

しかし、当日、かりにヒサゴのコルで最終判断をしたとして、カウン沢方面からふらつくような爆風が吹いていれば、天人峡に降りるよりも、風下側のクッチャンベツルートを薦めたいです。ツアーであれば、一人スタッフを沼の原あたりで先行させてバスを呼びに走るでしょうね。
http://subeight.wordpress.com/2009/07/26/escape/#comment-293より

北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。 今回の事故について戸田新介様のご意見 と 幾つかのご回答 | 甲 武 相 山 の 旅(7/31)に対するコメント

他人のブログのコメントから引っ張ってきてお手数をおかけしました。
noho様からのご質問への回答です。

swanslab様
私はあなたのお陰でこの事故の事実少なからず近づけたと感謝しています。下記の件をお尋ねするのはあなたが適当ではないかと思います。ご教示いただければ幸いです。

⑤白雲避難小屋からのエスケープ(多分銀泉台)はリスクがあるのか?シェルパは最初の故障者の介添えには使えないのか?

まず共有している事実の確認からはじめます。
http://subeight.wordpress.com/2009/07/31/mr-toda-text/
の質問⑦に対する、戸田さんの回答によれば、ツアー初日の旭岳〜白雲避難小屋の行程において、嘔吐を催すなどの明らかな体調不良者が目撃されています。また戸田さんはその日、二度目撃したといいます。またその客の対応のため、ガイドが全員集まったのも目撃していますので、少なくとも白雲避難小屋到着の時点で、ガイド三名には体調不良者が一名いることの認識がありました。これが現場でどのような判断がなされたのか不明です。

さて、もしかりに、私がガイドであったとして、緊急下山の決断をする場合には、銀泉台経由か高原温泉を選ぶかはその日の風向きで考えるでしょう。銀泉台コースの場合、ルート上の問題としては、赤岳〜コマクサ平の風衝地帯で体力を消耗するリスクはありそうです。少なくとも3時間は吹きさらしです。また、標準的なアミューズツアーのパーティ能力を想定すると、この時期であればコマクサ平の下部の雪田のトラバースも短いながら侮れません。雪田に突入すると、登山路の出口がわかりにくいはずです。私はピストンの場合でも、何度かカッティングしたりステップを切ったりして通過させています。

一方、高原温泉下山を選択した場合、難所は下部1500m付近の大きな雪田帯です。これを初見で下るのはガイドの地図読みの能力を要するかもしれません。しかし、当世、ツアコンやガイドには磁石のきり方もしらない人がいますので、読図に慣れていない人には強くは勧められません。またルートの利用者も少なく、雪田一帯は冗談じゃなく本当に熊が出没する可能性が高いので雪渓に出る前に高らかに鈴を鳴らしたり歌を歌ったりしながら下りるべきでしょう。ただルート自体はやさしいし、最短といえます。


次のご質問ですが、コミュニケーション能力から考えて、ネパール人のテンバさん一人で故障者の介添え下山するのはお勧めできません。この場合、松本さんがベターでしょう。銀泉台下山後、比較的早い午前中に故障者を離団させることができるならば、速やかに登りかえしてパーティと合流するか、高原温泉の場合はクッチャンベツ登山口にタクシーで移動し、沼の原を駆け上がるというのもひとつの案でしょう。しかし、この場合も、この時期はヒサゴ沼手前の小屋への短縮ルート上の雪渓もいいかげん長いので、道に迷うかもしれませんね。地図の読めるガイドであれば問題ありません。ガイドの能力と天気によりますので、なんともいえません。

もしかりに離団というのではなく、東大雪荘に先回りするのであれば、松本さんは故障者と同行するべきでしょうね。その場合、本隊の三日目は脆弱な体制になりますので、動ける天気基準を一段引き下げる作戦にでて、7月16日の天候では体調不良者がいない場合でも、頂上をあきらめて沼の原登山口に下山するのがよいと私は考えます。

あやふやな回答で申し訳ありません。今後の参考になさっていただければと存じます。

登山計画(プランニング)に関するコメント

登山計画作成とは行程表と装備表の二枚のことではない

silvaplauna様

何度もコメント欄を汚して申し訳ございません。

登山のリスクマネジメントはおよそ3つの構成要素から成り立っています。
ひとつはルート評価、第二に天気・進め方の戦略、第三にパーティ評価です。

ルート評価について。ルート上に障害物があればどうすればいいか。これは天候や霧などの視界、積雪も含めての評価です。このシミュレーションは距離や時間読みも含めて事前の登山計画で十分作戦を練ることができます。リーダーは現場で臨機応変に考えるのではなく、事前に頭に叩き込んだ答えを現場で当てはめればよいのです。
たとえば増水した川を渡渉するルートを想像してみましょう。正解はひとつしかないのです。渡れる水量を事前に決めておくことです。いけるところまで進み、だめなら戻ろうという現場の判断はもっとも忌避すべきことです。なぜなら、いけるところまで進むということは流されるところまで進むということだからです。

第二に、天気判断・進め方・停滞日の設定について。
実際にパーティがどのような天候であればぎりぎり行動できるか、についても事前に検討することが可能です。というより、このような判断を現場で臨機応変に、あるいは直感的に判断するべきではありません。行動可能な視界、風、気温についてはある程度定量的な基準を設けて、割り切って登山計画に盛り込んでしまうのがベターです。たとえば「フードで顔を押さえるような強風と雨の行動はしない」などです。なぜなら、天気の判断などというそもそも人知を超えた判断は、予防原則にのっとって安全側にたっておくべきからです。現場で余計なことを考えるべきではありませんし、現場の人間がどういう戦略をもっているかについては第三者に対しても登山計画などで共有すべきことです。山の中で判断すべきことは少なければ少ないほど安全なのです。

第三にパーティの評価
現場でリーダースタッフが思考を集中すべきはここです。
計画上のルートファインディングも天気判断もすべて現場のリーダーの判断になるわけですから、計画が絵に描いたもちにならないためには、これらを判断できる能力がリーダーに求められる要求水準となります。
また刻々と変化するパーティの状況(体力の消耗や装備など)をリーダーは常に把握する必要があります。これは現場の判断にならざるを得ません。

体力がわからないなどパーティの評価に不確定要素が多い場合は、行動できる天気基準・進め方・停滞日の持ち方に余裕を持たせる、というのが基本的な登山のリスク管理の哲学です。逆に言えば、攻撃的な登山とは、天気読みをある程度はずしたとしても行動できるパーティ評価をするということです。

ですから、現場での天気判断が難しかったとかいうのは、実はマヌケな話であり、それ以前に、パーティ評価についての計画上の不備があるわけです。
それでも、パーティに予期しない異常行動が発生するケースもありえます。
冬山ではよくあることですが、いままで元気に歩いていたメンバーが突然電池の切れたロボットのようになる、など。これが最終判断地を超えた地点で発生すれば取り返しのつかない事態に発展します。ここではじめてリーダーの真の登山センス・才覚が試されるわけですが、通常はそんな属人的な思考はしません。組織として行動する以上は、リーダーの個人的な才能に頼るべきではないからです。組織登山に冒険はありえません。
本来、このような登山計画は企画会社で共有されるべきでした。ガイドをアウトソースするリスクのおぞましさを今回思い知らされた気がします。

なぜこのようなことをぐだぐだと書き汚しているかといいますと、こうしたロジックこそ、ガイドの一人である多田くんのかつての出身母体の山岳クラブが共有していたリスク管理の手法だったはずだからです。

私がこの事故のニュースの第一報を聞いて愕然としたのは、いったいなぜ彼らはこんな判断をしたのだろうか、ということでした。とくに多田くん。私はそれをなにより、多田くんに問いたいのです。できれば、死人に口なしで、吉川さんにすべての責任をなすりつけたい悪魔の誘惑が私のなかですらあります。つまり多田くんは主体的に判断できる立場にいなかったのではないかと思いたいです。しかし現実はそうではなさそうです。多田くんの口から真実が語られるのを今は待つのみです。
しかし、正直なところ、8名の命を失ってしまった今、彼の胸中を思うと本当にいたたまれなくなり、真相究明もさることながら、彼がはやまったことを考えたりしないかとても心配でたまりません。
http://subeight.wordpress.com/2009/07/21/tomuraushi/#comment-281より

現場での天気判断は過信しない

>つまり、天気予報で天気が回復するとされていても、一般のハイカーならともかくプロのガイドとしてはまず疑ってかかるべきであった。その意味で、慎重性に欠けたといえると考える。

これについては、僕は「天気予測なんて当たらない。当たらない時の行動計画の方が重要」と考えています。

とのBacchus auf Daikanbergさんの意見を受けてのコメント

  • -

Bacchus auf Daikanberg様

>「天気予測なんて当たらない。当たらない時の行動計画の方が重要」

全くその通りだと思います。silvaplaunaさんももちろん同様の趣旨で、天気判断の難しさについて考察されていますね。私なりの言い方をすれば、天気をずばりと当てるというのは、人知を超えた判断です。これについては、ほぼすべての方が同じ意見だと思います。
では、上記のような天気概況のときにどうするか、というと判断のロジックが分かれてきます。

私自身のリーダーとしての考え方を参考までにコメントさせてください。

ひとつは、あらかじめ登山計画のなかで、パーティの行動能力から、行動しても安全な天気基準を割り切ってしまう方法です。たとえば、トムラウシ越えをする天気基準は、前トム平を下るまでの6時間、小雨、ふらつなない程度の風なら行動可能などと具体的に決めてしまうわけです。いったん決めてしまえば、たとえ当日の朝の概況が好天方向だとしても、基準を満たさず、エスケープか停滞などの判断をせざるを得ません。またもちろんエスケープルートの天気基準も決めておく必要があります。

重要なことは、この基準、判断方法をガイドが決めるのではなく、企画会社が企画書のなかでマニュアル化することです。いわば、企画書は憲法みたいなもので、臨機応変の判断を許さない硬直性がありますが、これが安全側を志向する硬直性であれば、むしろガイドは、山の中で考えるべきことが少なくなり、登頂のプレッシャーも弱まり、精神的な荷は軽くなるはずです。ルート評価と天気基準については机上で考えつくしておく必要があります。

通常、山岳会等の計画検討で行われるのは、こうした行動指針の確認です。

このように考えると、計画の中で安全をある程度は担保できそうにも思えますが、ところが、リーダー(ガイド)は登山中、非常に重要な任務を負っています。

それは、刻々と変化するパーティの状況、能力、装備の確認、そして評価し、それを原計画へのフィードバックです。山のなかでのリーダーの仕事の中心はパーティ評価と管理といっても過言ではありません。もし、パーティの行動能力が計画時に想定していたレベルと差が生じてきたときは、リーダーが臨機応変に考えざるを得ません。この頭脳作業に神経を集中すべきであるがゆえに、ルート評価、転機基準などの計画を事前に綿密に立てる必要があるのです。

人間は不完全です。どんなに綿密な計画をたてようとも、現実が裏切ることはよくあることです。そこで初めてガイドの真価がとわれるわけですね。

まとめますと、まず企画段階で十分なプランニングをする。
現場では、常にパーティの状況を把握し、評価を加えてオーガナイズする、これがリーディングであり、ガイディングの基本といえるでしょう。
プランナーとオーガナイザーが別々の主体であることは、デメリットもありますが、むしろメリットも多いです。すべてのガバナンス、マネジメントに共通するテーマですが、議論が拡散するのでとりあえずこの辺で。
http://subeight.wordpress.com/2009/07/30/professional/#comment-327より

低体温症リスクを登山計画に盛り込むのは実効性があるか

あともうひとつ、低体温症発生回避についてコメントさせてください。

私の経験上、低体温症のリスクを客観化して、それを避けるために停滞あるいはエスケープするという判断基準を持っている組織はごく少ないのではと思います。つまり、どのような条件が組み合わさると低体温症になるか、という判断はきわめて難しいと思います。しかし今回の遭難を教訓に今後研究を深める必要がある分野だと思います。

ただし、実践的には、通常の組織登山の計画では、そういう難しい判断を現場でするよりも、一定の天候条件を下回った場合は何々する、という具合に、もっと広い範囲で網をかけてしまうほうが計画作成上は合理的だと私は考えています。天候の基準であればパーティ内部でコンセンサスを得やすく、議論する時間も最小限ですみます。現場での判断基準はできるかぎりシンプルにしてリーダーの思考の負担を減らすのが安全登山のキモだと思います。

低体温症といえば、かつて厳冬期の十勝で、奇しくも美瑛岳を越えたあたりで晴れていたものの強風下、メンバーの一人が近い症状になったことがありました。ザックにつけた気温計は−23度をさしていました。
これは今回の十勝の件はほとんど報道されていませんので、ここでいうべきことではないかもしれませんが、重荷を背負っていたこと、行動開始して2時間以上は経過していた、という点で、共通点があります。さらに防寒具に不備もありませんでした。しかし、事例としては、朝、雪洞や小屋を出た直後になるというパターンが多く散見され、いずれも比較的高所で急激な温度の変化を経験するときに発症しています。いろいろな事故例をみると、経験的には、しばらく行動して体が暖まる前に冷たい強風などにさらされると低体温になる可能性があるというカンが働きますので警戒していますが、しかし、ほぼ同一の気象条件下で、最初は元気に歩いていたが、しばらく行動しているうちにだんだん動かなくなる、みたいなケースというのは、判断が難しいものがあります。

ですから、低体温症回避という判断基準が登山計画において実践的であるかどうかは、私にはよくわからないところがあります。つまり、具体的にどういう条件になれば、停滞なりエスケープの判断をするか、これはかなり頭を使うのではないでしょうか。

参考になれば幸いです。
http://subeight.wordpress.com/2009/07/26/escape/#comment-293より

今回のトムラウシの事例を極めて大雑把に法則化すると・・

1 行動開始後 6時間で 30パーセントの者が発症し
2 行動開始後 10時間では 60パーセントのものが発症する
3 行動開始後 18時間以降に自力下山出来たものは、30パーセント以下であり。自力下山できないものは、瀕死の状態で救助される・・。

前提条件として、縦走三日目、中高年登山者、体感気温マイナス5度程度の暴風雨下の行動、・・となります。

低体温症の問題は、確率の問題として捉えるのが、よろしいようです。

とのsilvaplaunaさんの見解をうけての回答

  • -

silvaplauna様

リスクを定量化するとしたら、おっしゃるような分析になろうかと思います。
もうひとつ重要な前提条件として、レインウエア等の装備は追加すべきでしょうね。
今回生死を分けたのは、レインウエアの質だともいわれております(ただし吉川さんはゴアテックスなどの素材を着用していました)。

行動指針としては、悪天候での長時間行動を避ける、につきてきますが、リーダーはその理由付けとして、silvaplaunaさんが分析されているような基準を参照するのがよいと思われます。

発症者が出た場合の対処方針については、ボトルなどを使用した湯たんぽ作戦など装備を含めた具体的な処方を頭に入れておく必要がありますね。今回の場合は、こうした対処がどうだったか、今後の事実解明を待つばかりです。

リーダーの発症については、美瑛の場合でもガイドが発症しておりますし、これはこれで、リーダーの判断能力の喪失が更なる悲劇を招きかねないことを考えると、実は過去の類似事例を整理する必要がありそうです。
古い話では、79年3月の知床遭難という、吹き溜まりのテントを救出中に、リーダースタッフが疲労凍死した事例があります。個人的には、この点に関心が強いです。

私のコメントはあまり整理されておらずブレインストーミング的なものですので、余計に混乱させてしまったとしたら、ごめんなさい。また、ひとつのアイデアとご理解ください。
http://subeight.wordpress.com/2009/07/26/escape/#comment-296より

北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。 | 甲 武 相 山 の 旅に書き込んだスワンのこれまでのコメント一覧その1

Preface

これまで、私は北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。 | 甲 武 相 山 の 旅という遭難事故の考察サイトに数多くの書き込みをしてきました。
ここで書き込んだ私自身のコメントをテーマ別に整理して再構成することにいたしました。

その理由は、これまで上記サイトにコメントしてきましたが、管理人さんとあまりにも登山に対する考え方が違うことに気がつき、かえって読者を混乱させてしまうことに思い至ったからです。
8月3日ごろから、この管理人さんが突然、スワンは多田ガイドの肩を持ちすぎだとの意見を繰り返し述べ始めました。これは今思えば、管理人さんにとって一種のバックラッシュだったのでしょう。私はわけがわからず驚いてしまい、そこで初めて彼の過去の記事を検索しましたところ、根本的なところで私とは考え方の違いがあったようで、突然の翻意にも合点がいきました。今は軽はずみに他人のサイトを汚してしまったことを後悔し、反省しています。管理人さんにもご迷惑をかけました。


※以下、前後の文脈がわかりにくいところは最小限度に発言元を引用し、コメントのタイトルを新たにつけました。またポイントを強調するためいくつかボールド表示に変更しました。

コメントリスト

登山計画(プランニング)に関するコメント - + C amp 4 +
ルート評価についてのコメント - + C amp 4 +
天気判断・進め方に関するコメント - + C amp 4 +
パーティ評価に関するコメント - + C amp 4 +
ツアー会社の責任についてのコメント - + C amp 4 +
携帯電話の通話エリアに関するコメント - + C amp 4 +
7月16日にトムラウシを目指していた他のパーティの動向についてのコメント - + C amp 4 +
生還者戸田新介さんとの一問一答 - + C amp 4 +
生還者戸田新介さんの回答に対するコメント(7月31日〜8月3日) - + C amp 4 +
Sub eightの管理人との関係が突然悪化(8月3日ごろ) - + C amp 4 +

登山に関連したエントリ一覧(過去ログ)

http://d.hatena.ne.jp/mescalito/20000630/p1
http://d.hatena.ne.jp/mescalito/20000701/p1
ヨセミテの思い出1、2」エルキャプの登攀エッセイ

http://d.hatena.ne.jp/mescalito/20030920/p12003.9.20
文部省登山研修会せっぴ崩落事故の報告書をうけてのコメント
http://d.hatena.ne.jp/mescalito/20040212/p12004.2.21
関西学院大学WV部冬山遭難事故をうけてのコメント

http://d.hatena.ne.jp/mescalito/20040213/p12004.2.13
冬山登山で検討すべきこと〜学生時代の所属クラブの運営方針

http://d.hatena.ne.jp/mescalito/20041110/11003444972004.4.11
遭難事故でしばしば自己責任論が唱えられる。
しかし自己責任を声高に叫ぶ人間ほど自己管理能力が欠如している実例を紹介

http://d.hatena.ne.jp/mescalito/20041110/p12004.11.10
登山の安全管理の思想と実践(学生のクラブ運営の場合)

http://d.hatena.ne.jp/mescalito/20070503/p12007.5.3
八甲田山の教訓

http://d.hatena.ne.jp/mescalito/20071123/p22007.11.23
十勝岳Z谷雪崩遭難をうけてのコメント

http://d.hatena.ne.jp/mescalito/20071125/p12007.11.25
十勝岳雪崩遭難続報へのコメント

自己紹介および投稿リスト

本ブログ執筆の経緯

トムラウシ山で発生した前代未聞の夏山遭難を契機に2009年8月初め頃まではSubeightというウェブサイトのコメント欄を間借りしてコメントをつづけておりましたが
いつまでもよそのサイトにお邪魔するのもご迷惑と考え、ここに改めてまとめました。
(2010年7月24日、その管理人の方がお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます)

本ブログの目的(当面の間)

二度と悲しい事故を起こさないよう、一登山者として、
知恵をしぼってツアー登山のありうべき姿を提言いたします。

法や政治・公害問題などを語っていたかつてのブログエントリは過去ログにまとめました。
ブックマーク等で過去記事を検索された方は、お手数ですが
該当URIのhatena idをswan_slab→mescalitoに変換してアクセスしてください。
もしみつからなければCamp4というidにアクセスください。

お問い合わせはこちら
swanslab@hotmail.com

エントリーに関連した自己紹介:

本業 コンサルタント
東京在住(8年ほど前まで北海道)
現在は海外出張中

swan_slabのHNはヨセミテの有名なボルダーエリアの名前に由来。
mescalitoは、ヨセミテの岩壁のクラシックルートに由来。
北海道の山は学生時代にはじめました。もう20年近く前です。
学生時代は組織登山のメソッドを叩き込まれました。夏は沢登、冬は長期縦走ばっかり。
その後は火遊び程度の単独縦走や単独登攀を少々。
当時のオンサイト能力はフェース,クラックともに5.10+〜5.11-,V3-V4
(ただしBigwallでは5.7-5.8まで落ちる)
ツアー登山の荷物もちやサブリーダーなどは山系の学生のバイトの定番ですね。
そういう意味でいろんなツアーの実態は比較して想像することができますし
またガイドのノウハウもわかります。ガイド系の知人も多いです。

http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/ 本サイトのほか

http://d.hatena.ne.jp/mescalito/ 過去ログ集(メイン)
http://d.hatena.ne.jp/Camp4/ 過去ログ集(予備)
http://b.hatena.ne.jp/swan_slab/はてなブックマーク
http://downer.g.hatena.ne.jp/swan_slab/ (はてな だうなー部)
など気が向いたら更新。

今回の事故ではガイドのひとりがたまたま私のよく知る大学の後輩だったので強い関心をもっています。
アミューズの社長(事故当時)とは札幌で一度会ったことがあります。
札幌事務所立ち上げ期に確かガイドのリソースを探しに来札したのだと思います。
暇そうな在学中の若者に声をかけていたのかな。わかりません。



なお、記事に関して、コメント欄に公開するのが躊躇われるご意見やご質問等ございましたら
遠慮なく、下記のメールアドレスまでご連絡よろしくお願いいたします。

swanslab@hotmail.com

エントリーリスト

Subeightさんのウェブサイトにコメントした回答リスト

登山計画に関するコメント
登山計画(プランニング)に関するコメント - + C amp 4 +
ルートに関するコメント
ルート評価についてのコメント - + C amp 4 +
天気に関するコメント
天気判断・進め方に関するコメント - + C amp 4 +
パーティ・参加者に関するコメント
パーティ評価に関するコメント - + C amp 4 +
企画会社についてのコメント
ツアー会社の責任についてのコメント - + C amp 4 +
携帯電話についてのコメント
携帯電話の通話エリアに関するコメント - + C amp 4 +
当時同じ山域にいた他のパーティについてのコメント
7月16日にトムラウシを目指していた他のパーティの動向についてのコメント - + C amp 4 +
生還者についてのコメント
生還者戸田新介さんとの一問一答 - + C amp 4 +
生還者戸田新介さんの回答に対するコメント(7月31日〜8月3日
生還者戸田新介さんの回答に対するコメント(7月31日〜8月3日) - + C amp 4 +
Sub eightの管理人との関係が突然悪化(2010年8月3日ごろから)
Sub eightの管理人との関係が突然悪化(8月3日ごろ) - + C amp 4 +

その他

秩父山中における多発遭難事件について
http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20100801/p1