トムラウシ山遭難事故調査報告書のまやかしと盲点

前回でもご紹介しましたが、トムラウシ山遭難事故調査報告書(最終報告書PDF)がこの三月に発表されています。
報告書の盲点―それは登山ガイド業界や旅行業界に蔓延する登山計画を軽視する風潮に実質的なメスが入っていないことです。(3/8追記 http://www.imsar-j.org/2009-04-23-09-38-06/2009-04-23-10-26-43/97-2010-03-04-08-13-46.htmlの資料の論調も拝見しましたが、さらに輪をかけて安易な解決方法に陥っています。)
また、何かを提言しているようでいて、しかし具体的な内容に乏しいため、それらは観念論にとどまり、具体的な実践に活かされることなく忘れ去れてしまうことでしょう(ととりあえず釣りっぽくはじめます。時間のない読者は太字だけ追えば論旨はつかめます)。

この報告書自体がそのことに対して完全に無自覚であり、いってしまえば業界全体として登山計画を軽視する風潮にどっぷりとつかっていることがうかがえるのが私には重い病のように感じられます。
それからもう一点、事故調査報告書には過失責任の追及というスキームを忍ばせてはいけない。この誤りを報告書は犯しています(責任の重さを強調して何か意味のあることをいった気になっているだけ)。

本報告書の暗黙の前提

恐らく、報告書の執筆陣には、登山という行為は、実働部隊の経験豊富なリーダーを中心に実行されるべきものだという自明の前提があるものと考えられます。(以下、9日追記始め〜)

日本山岳ガイド協会の特別委員会(節田重節座長)は24日、最終報告書を公表。事故の原因をガイドのミスとした上で、国が関与し、レベルに応じた資格の導入も検討すべきだと提言…中略…
 「ツアー登山では、ガイドの存在がすべてと言っても過言ではない」。トムラウシ山遭難事故の最終報告書は、厳しい自然の中で参加者を導くガイドの責任の重さを繰り返し強調。知識、技術、経験を備えたガイドの養成が急務と指摘した。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/yama/CK2010022502000213.html

一見、説得力を感じるからこそ始末に悪い。もしこれが別の分野だったらどうかを想起すれば私の違和感はつかみやすいと思います。05年のJR西日本福知山線脱線事故で、運転手に対する日勤教育の強化が必要、といった筋肉質な結論が報告されていたら、世論は調査委員会の見識を疑うことでしょう。
事故は旅行会社、ガイド、参加者のそれぞれに要因が複雑にからみあって発生したことを報告書は明らかにしておきながら、中心問題をガイドの責任にすえてしまったがために、その処方箋をガイドの育成にもとめるというマヌケた結論に仕上がっているのです。
(以上、9日追記終わり*1。)
しかし、組織登山はツアーであれ、山岳会であれ、組織として登山を計画し遂行するものです。ですから立案者(旅行会社)が判断はすべて現場に任せていた、というようなことは、本来組織として間違っているのです。それならば、はじめからガイドが計画をつくったほうがましです。事故の原因がリーダースタッフの経験不足により判断ミスを重ねたものというドグマによって、「即席ガイド」や無資格のガイドを問題視し、「ガイドの国家資格を」という具合に、とにかくガイドを監督する仕組みと行動指針作りをして徹底的にガイドを鍛える、みたいな他の業界ではみられない独自の解決が提案されてしまうのです。
もちろん、ガイドを名乗りながら実は小遣い稼ぎのバイト君みたいな、小細工も問題であるのは間違いありませんが、より根本的な問題は登山計画としての準備不足です。それに旅行業者の問題意識が高まれば、自ずとガイドの品質にも目を向けるはずです。

この報告書の各執筆者に無自覚に共有されている自明の前提からすれば、私がいかに登山計画こそが安全登山のキモであると主張しても、次のように切り返すのではないでしょうか。

いかに完璧な登山計画を用意したとしても、実施する側、とりわけ登山のリーダーの力がなければ絵に描いたもちではないか。
事故は会議室で起きているのではない。自然は計画の想定を裏切ることがある。完璧な計画などありえないのだから。だからこそリーダーの現場の判断能力が求められるのです。

それは確かにそのとおりなのだけれども、それは条件を逆に入れ替えてもいえることなのです。
つまり

いかに有能なリーダーがいても、登山計画に不備があればリーダーの力を十分に活かすことはできない。

といえます。
もしかりにずさんな計画にもかかわらず、直面した危機を乗り越えて遂行したとすれば、それはリーダー自身が頭の中で周到な計画を立てていたか、リーダーの経験上のとっさの判断が効を奏したかのどちらかのはずです。
さて、どちらが大切なのでしょうか。
このように言い換えてもいいです。本報告書の基調は現場でのタクティクス重視である一方、私は机上でのストラテジー重視なのです。事故の結果から、あのときリーダーはこうすべきだった(予見可能だった)、という反省が出てくるとすれば、それは事象への想定を超えた事態にリーダーの経験が追いついていなかったのではなく、それは想定すべき事態(予見しえた事態)を計画に含めていなかったミスなのです。

トムラウシ山遭難の教訓はまずは今後の計画に反映させるべき

少なくとも、本報告書で得られた教訓はどの点をとっても、類似の計画に活用することができるはずです。だとすれば、まず計画の精度の向上に着手すべきであって、それでもなお、計画に限界を見出したときにはじめて、リーダーの能力向上プロジェクトの検討に至る、というべきです。本報告書に欠如しているのは、今後のプランニングへの提言です。

「計画が不完全であった、だからリーダーの能力向上が必要だ」というのは論理の飛躍です。

私は、7月の遭難事故は、16日早朝に適切に天気判断をするツール(ラジオ、天気図)があり、天気判断をする安全上の基準が計画上、すべてのリーダーに共有されており、16日朝に判断することがきまっていれば「なんであんな天候で出発したんだ」なんてことにはならなかったと考えています。現場ではお客さんに「当社の安全基準では、この天候では行動を見合わせることになっていますので」といえば終わった話です。

しかし、現実には、このもっとも重要な判断に失敗したがために、その後、未熟かつ連携の悪いリーダースタッフに次々に不測の事態が襲い掛かります。対処の誤りが次々に新たな問題を生み出し、対応能力の欠如したリーダースタッフは対処すればするほど問題を作り出すという悪循環に陥っていたわけです。ガイド業界には、ガイドレシオなどという実にナンセンスで出前味噌な基準がありますが、実は、トムラウシ山遭難の強いインパクトに隠れて話題にも上らなかった同日の美瑛岳の遭難ではガイド3:客3のマンツーマン体制であったことが明らかになっています。低体温症という事態に対して、美瑛パーティも適切な対応をとり損ねていました。美瑛岳の関係者の話を聞く限りにおいては、ガイド3名体制であったことが幸いして、被害の拡大を防いだことがうかがえます。1名の低体温症の発症という事態への対処としてサポートがどれくらい必要であったかの答えは当日の伊豆ハイキングクラブの動向や美瑛岳遭難に多くのヒントがあるのではないでしょうか。

ただ私が何度も指摘することですが、この悪循環にはまり込んだあとの危機対応の欠如の問題をガイドの資質や能力の問題にのみ還元するのは一面的だと思います。修羅場となった現場では、トランシーバもなくテントも活用されず、最終判断者も明確とはいえず、さらにリーダースタッフ自身が低体温症に罹患した疑いがあるなどの機能不全に陥っていました。
最後の点について「リーダーは客より先に消耗してはならない(P39)」と報告書は戒めています。リーダーの自己管理能力も確かに問われますが、リーダーすら余裕を失うような天候で行動したこと自体が招いた二次的な人災というべきです。リーダースタッフがパーティをコントロールしオーガナイズする統制能力を失ってしまえば、あとはどんな災害が起こってもおかしくありません。

つまり、事故のトリガーは小屋での出発の判断だった。私はこういう認識をもっているので、ガイドの判断能力向上といった処方箋に違和感を覚えるわけです。


そういうわけで、私はツアー登山が組織的に遂行される業務登山である以上は、現場の臨機応変な判断など必要最小限に抑えるべく、想定されるかなりの事柄は計画において可能な限りシミュレーションされ尽くされるべきだと主張しています。
私は現場での人間の能力や経験知には限界があると確信しているからです。かりに豊富な経験があったとしても、ときに認知バイアスを生み、逆に正しい判断を狂わすこともあります。「あのときは大丈夫だった」というように、人間は状況に対して都合の良い判断をしがちなのです。たとえば、災害の常襲地域では住民は対応になれているはずなのに、想定を超えるハザードが発生したときに被害を見くびって避難しなかったという事例が防災分野ではしばしばあります。同じ事をこれまでも繰り返しのべてきました。

ガイドやリーダーを過信しないシステムが必要。これが私の結論です。

これは一般登山者についても同じです。自分自身の能力を過大評価しない。
ではどうするべきか。これは計画段階で可能な限りリスクコンロトールするのが一番合理的とずっと主張しています。責任論の次元でいえば、現場の人間の責任が重いことはいうまでもありませんが、教訓として残すべきは組織の問題が中心となるべきです。それがあってはじめて有効にガイド能力の強化の段階に移れると考えています(http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20090811#c1253382726より)。

また有能な人材にもリソースの限界があります。人材バンクをつねに経験豊富なガイドでいっぱいにする、など夢物語です。
むしろ、経験の浅いリーダーでも安全に遂行できる計画づくりこそが急務である、というのが私の主張の核心です。

さらにそれらの計画のブレイクダウンは顧客にも情報公開されるべきだと考えています。具体的には、どのような天候であれば行動を中止するのか、どのくらいのペースで歩行するのか、難所での対処方法はどのようなものか、ひとつひとつについてです。公開することで、衆人の評価のもとにさらされ、ときには批判をうけたり、逆にライバル会社に有効活用されたりするかもしれません。しかしこういう情報は一会社だけの問題ではなく半ば公共財と割り切るが良いと私は思います。

報告書ではこれらの事柄は、旅行会社が整備すべき業務マニュアルとして提言されていますが、これらの情報は反復継続されるという意味での業務マニュアルであると同時に、プランニングの一部です。
必要なのは、具体的な計画への組み込みです。例えば、計画のルート中に難所がある場合をかんがえてみましょう。

A地点は比高50m距離130m平均傾斜25度の雪面があります。
予想される危険性は滑落です。
このツアーにおいては歩行の安全のためアイゼン着用し、サポート要員による雪面の足場作りを確保します。
難所通過はトータル100m、約15分と見込まれます。
通過時には前後の歩行間隔を2m以上はあけます。
万が一誰かが滑落しても巻き込まれないように、斜登高します。
A地点通過に必要な能力は自力ですばやくアイゼンを着脱できる力です。アイゼン歩行経験は問いません。
現場到着時に前進可能かどうかの判断をします。強風により体がふらつくような天候では引き返します。
歩き出す前に歩行のテクニックのアドバイスをします。

といった具体性です。
1.ルート上の自然条件、2.リスク、3.対処方針と行動概要、4.行動に要求される技術水準と装備、5.行動基準 
を網羅しておくのです。少なくともこの5項目の整理は、計画作りのひな形といってもいいファンダメンタルな要素です。実際にはこれにリーダーの状況判断やインストラクションのキャパも問われます。
何度も繰り返しますが、これは現場の臨機応変な対応でももちろん十分可能かもれませんが、計画において事前に検討され、コンセンサスをとっておくのが組織登山というものであり、マネジメントです。
こういう地道な作業はまだるっこしく忍耐が必要です。
これを省略してガイド育成団体にまかせてしまえばよいのではないか、という意見もありそうです。ガイド団体のガイドラインを充実させ、認証を強化すれば十分ではないかと。
しかしガイドの能力確認自体を認証制度を通じてアウトソースしようという方向性には疑問を感じます。
有能なリーダーの人材育成が無意味とはいいませんが、そこに本質的な解決の出口をもとめ、計画策定プロセスを軽視すると、繁忙期にガイドの人材が枯渇した穴をついて、結局また同じ問題が起こりえます。実に非生産的であほらしい解決方法です。経験未熟なガイドというのは存在して当たり前であり、この穴は常にあいているのですから。昔はよくいわれました。「冬山経験10年なんて何も知らんと一緒」と。実際そのとおりと思いますよ。人知や経験などたかがしているものです。そして人材を育成するというのは時間と手間がかかるものです。

であれば、短期間で取得できちゃいそうな国のお墨付き制度の創設よりもむしろ、旅行会社に身の程知らずな計画をつくらせない業界全体の努力のほうがよっぽど重要です。もし調査チームが経験の浅いガイドには過大な計画であった、と結論付けるのだとすれば、この登山計画に経験豊富なリーダーが必要である、さもなくば計画自体が無謀である、という提言にならざるを得ませんが、私はそれは違うと思います。ただ単に経験の浅いリーダーを前提とした、より安全側にたった計画が立てられていなかった、という見方をしています。

綿密な計画策定の3つのメリット

計画策定のプロセスに時間をかける、という発想は今までこの業界では考えられてこなかったように思います。
このメリットは顧客にとっても管理組織側にとっても、現場の人間がどういう判断をするか、について予測可能性がうまれる点にあります。また情報を共有することにより判断ミスを事前に相互にチェックする機能もあります。
例えば、リーダーがうっかり雪面の登り方の説明をせずに出発をはじめたとき、客でもサブガイドでも「あれ、ここで歩行練習するんじゃかなったでしたっけ」と声をかけることもできるようになります。
第三に、暗黙知の顕在化です。これは、ガイドや優秀なリーダーがどのように次世代の人材を育成するかの手法を想起すればわかります。「経験を積むにはとにかく山にいくしかない」というのは一面的で、実際には例えば、07年問題でみられたように、団塊世代の熟練工が作業手順書を残すといったことは非常に有効だったわけです。

この報告書では、ガイド間のコミュニケーション不足が致命的な問題とされています。現場の判断ミスについて以下のように指摘されています。

 次に第 2 のポイントは、稜線のヒサゴ沼分岐から天沼や日本庭園にかけての判断である。
中略
スタッフの一人しかこのコースの経験がなかったとしても、情報を共有しておれば、それぞれが意見を出し合い、臨機応変の対応がとれたはずである。
ロックガーデンを登り始める前に、なんらかの判断がなかったことが、返す返すも悔やまれる。危急時におけるリーダーシップおよびフォロワーシップの欠如が、このパーティの命運を左右したとも言えるだろう(P37)

リーダースタッフ間の相互のコンタクトをどのような場合にとるべきか、これは計画段階でコンセンサスをとるべきです。
判断する地点も事前に決めておくべきです。この場合、ヒサゴ沼分岐です(もし当該パーティがラジオをもっていたなら間違いなく避難小屋が最終判断地です。午前4時の気象通報とNHKの天気概況という確実な情報源をもたず、どこで何を判断するべきかの明確な合意がなかったのが問題だったのです)。
少なくとも三人の間で判断地、判断事項、最終判断者について確認される必要がありました。
事前に決めておけば、しかるべき地点にくれば自動的に話し合いがもたれるわけです。

こういうことをあらかじめ決めておかないとどうなるか。
それこそ、この遭難事故の原因をめぐるネット上の議論と同じように、このパーティがどこで引き返すべきだったかのエンドレスな論争に突入するのです。
机上でも意見がわかれてしまう微妙な問題を現場の判断にまかせる、臨機応変の対応に期待するというのは賢くないやり方です。
例えばP36で報告書は16日朝の現場の判断に疑問を呈し次のように述べています。

 しかし、「ひとまず出発してみよう」という判断は、途中で引き返したり、別のコースに避難する可能性も含んだ判断である。それであるなら、夜明けとともにリーダーは若いスタッフを稜線のヒサゴ沼分岐辺りまで、空身で偵察に走らせるという方法もあったのではないか。それにより出発遅延の30 分という時間も、有効に使えたはずである。経験不足から思いつかなかったのかもしれないが、偵察によってかなり正確な判断材料が取得できたことであろう。(傍線はスワン)

ここで提案されている事柄はあらかじめ計画段階でコンセンサスをとりうることです。経験の有無は関係ありません。

本報告書のルート評価は不明確

また、報告書ではガイドB(多田ガイド)のリーダースタッフとのしての関与の弱さを指摘し、次のように述べています。

ガイドBは、天人峡温泉への緊急避難も心積もりとしてはあったと言うが、リーダー以下、なんの協議も判断も下していない。もっとも、同一条件下で、化雲岳を越えて天人峡温泉へ下るコースも、緊急避難路としては楽ではないが……。
 引き返すか、もしくは緊急避難路選択の判断をするなら、日本庭園までの間、すなわちロックガーデンを登り始める前がリミットだっただろう(P37)

報告書作成に関わった調査チームは現場を視察したんでしょう?
であれば「楽ではないが……。」などとルート評価についてあいまいな記述をすべきではなく、明確に白黒つけるべきです。
調査チームは、当該遭難パーティの力量では天人峡コースのエスケープは現実的ではなかった(計画に含めることがそもそもできなかった)などといった調査チームによる評価の確定です。ルート評価をせずに現場の判断の是非を議論するなど、はっきりいって順序がめちゃくちゃです。それに前回もツッコミましたが、ロックガーデン手前(出発から約3時間後)をリミットと評価すること自体が不合理です。報告書の別項で指摘されている低体温症リスクとのからみでいえば、とっくに症状がでていてもおかしくないです。
このような記述は不正確なばかりでなく、有害です。川の渡渉でいえば、おぼれそうになるギリギリのところまでいってそこがリミットだといっているようなものです。さらにいえば、別項で述べられている低体温症についてのすばらしい分析と何一つ整合性がとれていない。

本報告書では、プランニング能力向上が軽視されている

遭難事故報告書において、登山におけるプランニングそのものが軽視されている、というのは、そういうことです。本報告書中において、「計画」ないし「プラン」という語彙が使用される頻度の少なさとその内容をみても明らかです。
以下に引用する文章が全91頁にわたる当遭難事故報告書中において、計画について言及されたすべての箇所です。

本遭難事故要因の検証と考察

企画・運営しているツアー登山旅行会社の問題

アミューズトラベル株式会社(以下、アミューズ社)は1991 年の創業以来、年々急成長し、リスクの高いツアー登山部門にも進出してきた。その成長ぶりに比して、社内やガイド・スタッフのリスク・マネージメント体制や能力が対応できていなかったのではないか。まずは、旅行と登山の違いを社内やガイド・スタッフに徹底させるべきである。登山の場合、旅行業法上あるいは保険の裏打ちだけで許容される範囲のみでは、危機対応できるものではない。現状で多くのツアー登山を鑑みるに、登山行為を単なる旅行商品の付加価値として位置付けていないだろうか。
中略
今回の大雪山・旭岳〜トムラウシ山の縦走コースは、百名山の人気商品だが、旅程を管理するのに天候や顧客のレベルなどが不安定で、スタッフの人員配置など安全管理に関わるコストも高くなり、募集が難しいので他社が撤退しているプランである。それ故、最近では途中の忠別岳避難小屋泊を入れて3泊4 日とし、その日を「隠れ予備日」としているプランや、ヒサゴ沼避難小屋に2 泊し、トムラウシ山を往復するプランなど、安全性確保の見地から工夫している会社もある。
 一方、アミューズ社はこのプランを、幸い事故もなく10 年ほど継続してきたが、コースそのものに技術的な難しさがないこともあり、その間に危機意識が薄れていたのではないか。このロングコースを避難小屋利用(テント泊のこともある)で縦走するのは、特に今回のような年齢構成で、悪天候に遭遇した場合、かなりシビアな状況になることは、予測できたはずである。今回のツアー企画の脆弱性(参加者のレベル把握が不十分、食料は参加者持参のため重量負担大、貧弱な食事でカロリー摂取不足、エスケープルートなし、予備日なし、幕営の可能性がある避難小屋利用による居住性の悪化や睡眠不足のリスク、ガイドの土地勘なし、など)に対して会社は認識し、リスクを想定して危機対応をシミュレーションした上で、それを担当ガイド・スタッフそれぞれにしっかりと伝えているとは思われない。
 そもそも避難小屋泊まりを前提としたようなツアー募集は、避難小屋本来の使用目的から逸脱している。同社は人数分のテントを確保していると言うが、幕営による参加者の負担をどの程度に認識していたのか。特にテント泊に慣れていない人、あるいは高齢者にとって、悪天候下での幕営は大きな負担となり、翌日の行動に支障が出ることもあるだろう。
 また、本コースに限らず、アミューズ社はコース運営上の問題に対して、ガイドの意見を吸い上げていただろうか。社内での十分な検討なしに、他社のコース設定の受け売りであったり、既成の企画を惰性的に継続するだけの安易な運営が行なわれており、ガイドの意見が企画部門にフィードバックされていなかったと聞く。実際に山の中でツアーを運営してみてのガイドの経験や見解は、貴重な生きた情報である。それらを反映させることによって、ツアープランの安全性がより高まることは確かであろう。
 さらに、天候悪化に伴う危険回避に対する具体的な判断基準が社内になく、したがって、ガイド・スタッフに対して明確な指示として出されていなかったことが、混乱を招いたものと思われる。特に今回は夏山ということもあり、特段の注意は与えられていなかった。さらに今回のようなリスキーなプランを実施するにあたっては、危機意識や危急時対応について共通認識を持つことが必須であるが、そのために、スタッフ・ミーティングをしっかり行なうよう、会社としての指導が徹底されていたとは思えない。(P40)

気象から見た本遭難の状況および問題点

4 気象から見た本遭難の問題点と今後の課題

(1)事故原因として考えられる気象的要因
事前の天気判断
 低気圧の通過、その後の寒気流入による悪天が十分予測されていたが、登山計画に反映されなかった。

(2)今後の検証課題
 今後の検証課題としては以下が考えられる。
トムラウシ山特有の気象現象の把握が必要である。たとえば、縦走路中での風と地形との関係、風の強い地域と弱い地域の検証。
・強風を伴う霧雨と濡れとの関係の検証。
旅行会社のツアー登山企画における気象判断基準、悪天時の予備日設定の有無についての検証。
(P88)

伊豆ハイキングクラブの動向

1 計画

 トムラウシ山登山は2009年の4月に計画、チーフリーダーを決めて実行に移した。リーダーは 6 年前にトムラウシ登山の経験があった。6名が参加することになり、出発までにそれぞれ役割分担を決めて計画を練った。メンバーは女性 4 名、男性 2 名で、平均年齢が 65 .8 歳。
 1日の行程は年齢を考慮して5?6時間とし、山中3泊4日で、1日予備日的に余裕を持たせた。テント2張を持参、食料計画も立てた。防寒対策としてフリース、ダウンジャケットを持参し、荷物は一人13Kg以上になった。出発までに4回のミーティングを重ね、ボッカ訓練は15kg以上の荷物を背負って1人3回のノルマで山行を行ない、また、北海道は雨も予測されるので、雨天の訓練山行も行なった。

6 考察

 食料計画を立て、防寒対策を施し、そしてボッカ訓練までして臨んだ、用意周到な計画での山行だった。しかし、どれだけ用意周到な計画であっても、山は天候に左右されることが多いから、計画の中に危機管理の要素が必要になってくる。エスケープルートの確認、通信手段、ラジオなどによる情報の収集手段、テントやツエルトの用意、予備日、予備食などがそれに当たる。(P90)

一応、それなりに当該ツアーの計画段階でのずさんさを指摘し、計画策定の重要性に言及してはいるものの、一般論に終始し、ブレイクダウンがないのです。静岡パーティの計画についての言及は、この報告書の基調を象徴する書きぶりになっています。

天候の予測とパーティの行動決定については、(伊豆ハイキングクラブ・パーティは)意見をまとめることに苦慮していた。行動に不安を感じたら、やはり安全策を優先させるべきだろう。結果的に無事下山できたとはいえ、あの悪天候の中、ヒサゴ沼の避難小屋を出発すべきではなかったと思う。

として、判断の問題を指摘しています。一見すると何の違和感もない文章に思えますが、明確な判断基準がなかった、業者パーティにつられた、などといった失態は計画上のミスであるというべきです。教訓としては「あの悪天候」を判断基準化する必要がある。これは現場の判断ミスというよりも、そもそも判断基準がなかった、あるいは間違っていたことの問題です。
「計画は周到だった、だが判断はずさんだった」式の認識から脱却できないから、いつまでたってもその教訓を次の計画に落とし込んでいくというサイクルに入れず、リーダーの判断の責任ばかりがとわれつづける悪循環にはまるわけです。周到な計画作りと現場の判断を分けて考えてしまう、ここに登山業界の病があるというべきです。

全体として、調査チームはトムラウシ山という山域の現地調査、気象、運動生理学、関係者へのインタビューなどをしておきながら、本来計画上どうあるべきだったかについての具体的な記述が極めて少ないといわざるを得ません。
とりわけ気象面の記述は、「旅行会社のツアー登山企画における気象判断基準、悪天時の予備日設定の有無についての検証」等、ちょっと関係者に聞けばわかるようなことを今後の課題と書いており、あまりにひどい。
一体いつまで課題として検討するつもりなのでしょうか。

教訓から得られた天候判断のミスをしかるべき天候基準として登山計画に落とし込むノウハウ

このパーティの実態に即して、いったいどのような天候であれば行動を見合わせるべきだったかの基準を示してはじめて、それが教訓として次の計画に活かされるというものです。その基準も現場で共有可能な指標でなければなりません。
風速何メートルとか雨量mmとかいう、現場でピンとこないような数値を基準にしてはならず、レインウエアのフードを頭からかぶって視界がさえぎられ、ときおりふらつくような風といった具合に、行動を阻害する具体的なニュアンスで記述する必要があります。


さきほど、例にあげたヒサゴ沼ないしヒサゴ沼分岐での気象条件の判断基準のサンプルをあげておきましょう。本報告書が認定した事実から得た教訓を活かすとすれば、私なら次の計画ではこう決めておく、という意味です。

ヒサゴ沼分岐での風:雨具のフードがばたつく
同地点の雨:ときおり叩きつける強い風雨もしくは継続的な大粒の雨
同地点朝の気温:10度以下
低気圧の通過ないし通過後
前日も雨天行動している

以上の条件がそろっていたら小屋への引き返しを決めます。
低体温症の知識も対処の経験もないパーティ(一般登山者は特にそうでしょう)の行動計画はこうして立案可能なのです。
さらに複数の人間で計画を検討する場合には、気温10度の根拠は?低気圧の通過とは具体的に天気図でいうとどういう気圧配置?、前日の雨の程度は?参考事例はあるか?などとお互いに議論し合い、納得できる基準に煮詰めていけばよいのです。

この実践的な基準を策定するときに重要なのは、現場で誰もが共有できる具体的な事実であることです。
風速XXmとか雨量何mmのように現場で計測できない事実は利用できません。
また、認知(Perception)を判断基準にしてはいけない、これも鉄則のひとつです。
具体的には、「体力を消耗している客がいる」という基準も緊急事態以外は避けたほうがいいです。一見よさそうですがダメです。
なぜなら、体力消耗は潜在化している場合があり、たまたま顕在化したケースだけを取り上げるべきではないし、体力の消耗の程度を計る指標が見た目の印象しかなく、ひとによって判断のばらつきが生じるからです。リーダー経験の豊富な人は異変に気がつき、鈍い人は気がつかない、という基準を設けてはいけません。体力の消耗・疲労蓄積は認知されようがされまいが一定の推定をしておくべきなのです。

こういった行動基準を事前に共有し、あいまいな点をこそぎ落とし、最後に整理するのがプランニングというプロセスです。あくまでプラグマティックに理解することによって現場の負担を軽減するのです。こうした考え方にたてば、例えば、人口に膾炙した「引き返す勇気」などという言葉がロマンチシズムの表明にすぎないことがわかるはずです。引き返しの判断は計画上の選択肢のひとつであって、突っ込みたいところをあえて堪える度量や経験知の問題ではないのです。第二次世界大戦末期に日本側の軍事作戦がことごとくアメリカに敗れ去ったのは、もちろん物量と技術力の差が圧倒的であったこともありますが、国民の犠牲が増えたのは間違いなく作戦のミスだったのであり、現場の司令官が無能だったからではありません。
それを天候判断ミスだね、なんであんなひどい天気で突っ込んだんだろうね そうだね、判断した人は未熟だね、なんて話をいつまでもしているから、駄目なのです。
交通事故を防止するのに、信号機と交通ルールを整備することをしないで運転手だけ鍛えてもムダなのです。鍛えられる運転手には限りがあります。

本報告書はきちんと旅行会社について事実を確認したのだろうか

報告書はこういった形での提言がなされなかったのみならず、実際の事故を起こしたツアー会社において、それをしていたのか、どの程度なされていたのか、それともしていなかったのか、その事実についてもあいまいな記述の仕方をしています。

そのために、スタッフ・ミーティングをしっかり行なうよう、会社としての指導が徹底されていたとは思えない。(P40)

などと報告者自身の憶測や認知を表明しているのはあきれます。それならば何の取材もせずに書けるブログでもできることです。いったい何を調査してきたのでしょうか。
企画会議の議事録の入手やインタビュー調査まで行ってほしかった。
事実を入手してはじめて意味のある提言ができるというものです。

装備や生活技術・行動技術の提言がない

また、計画において非常に大きなウエイトを占める構成要素に「装備」「食糧」がありますが、この報告書には、低体温症を防止するツールであるレインウエア自体や装備の管理や装備の戦略的な利用等についてほとんど言及がありません。
わずかに生存者の証言から、うっすら教訓を読み取ることはできますが、ここから読み取れた教訓はもっと明確に山での生活技術指針として提言に加えてもよかったはずです。例えば、行動中の体力消耗を避けるために雨具のポケットに食糧を準備していた生存者の証言は、単なる事実としてではなく、悪天候時に推奨されるべき行動だったのです。こうしたことは計画検討時にリーダーがパーティの動きを把握する際に留意するべき点としてリストアップされていなければならない点です。具体的には、リーダーには客の自己管理能力の弱点をサポートする義務があり、そのチェック項目を計画に組み込むことができるわけです。教訓を活かすというのはそういうことです。

遭難事故報告書は、登山計画から自然条件、気象条件、ガイドの経験・能力、参加者の装備、運動能力、技術・経験にいたるまで、計画立案時以上に詳細に調査しているのですから、本来あるべきだった計画案について提案してもよかったのではないでしょうか。

マニュアルを作成せよ、という提言は何も提言していないも同然

もちろん、報告書は何も提案していなかったわけではなく、これらの教訓を踏まえて業務マニュアル化するべし、と提言しています。マニュアルも解法のひとつでしょうけれども、マニュアルやガイドラインには盲点があります。一度作成してしまうと、それで満足してしまって一度も更新されずにやがて形骸化し、ついには放り出される危険性があることです。「おいガイドさん、行く前にガイド指針読んでおけよ。頼んだよ」みたいに、旅行会社が事実上の安全管理をガイド側に丸投げし、形骸化した状況になってしまえば機能不全というべきでしょう。もちろんマニュアルがあってもいいのですが、反復継続的に使用されるというサステナビリティを確保する仕掛けが必要です。この問題意識はもちろん、本報告書でも共有されていますが、しかし問題意識を述べたにとどまり、具体的な提言になっていない。

私は、土木や防災の分野で毎年労働災害が絶えない現場をみてきているので、そこでどのような安全管理対策がなされているかと比べると、登山の世界は本当に生ぬるいと思います。
ただ、JRの路線作業のように、作業当日に監督職員に作業留意事項を一字一句間違わずに伝達しなければ作業が中止になる、日勤教育も受ける、みたいな、それと同じスパルタな管理体制をとれ、といっているわけではありません。やはり分野が異なれば、方法が違って当然です。しかしながら、建設現場での事故防止のため、判断ミスをしない現場の人間の育成、経験豊富なリーダーの育成が重要だと主張したら、バカかお前はといわれるのではないかと思います。【人間はミスを犯す存在だ】という前提で安全管理体制を整備するはずです。

プロジェクトサイクルマネジメントと行動変容を引き起こすトリガー

登山の世界ではどうしたら安全が確保されるか。
その仕掛けとして、プロジェクトサイクルマネジメントが非常に有効だと思います。つまり、計画を立案する、という行為がつねに一定の間隔で意識される仕組みです。立案し、方法論を開発し、実行し、終わったらその総括をする、その総括をもとに前回の弱点を次の計画に反映する、というサイクルとして定着させてゆくのです。前回の行動記録を次のパーティに渡すというだけではだめです。次の計画自体が前回の教訓をビルトインしたものになっていなければ意味がありません。この報告書の提言部分に抜け落ちてしまっているのは、こうしたプロジェクトサイクルのうち、PlanningとDevelopmentのフェーズについてのフォローなのです。

さらに根本的なことをいえば、「じゃあ計画を立てましょう」とか「段取りしますか」というような、ある種の、行動を引き起こすための、トリガーが大切です。

ところが、日本語で事実上流通している、「登山計画」というニュアンスは、静的というか死んだニュアンスです。これから行動をはじめるというステップとしての動的なものではなく、消極的なニュアンスが強いです。よくあるコンテクストでいうと、「登山計画書の提出」という具合に、公共的な機関に救助されるかもれない前提で、行動概要を示す情報を提供し、いざとなったら助けてくださいね的な保険のニュアンスで「登山計画」という言葉が語られることが多いのです。

また、登山口や警察署などの登山計画書の様式は、一般登山者につぎのようなメタ・メッセージを与える恐れがあります。
「登山計画書」とは行動概要を示す一枚のペーパーのことである、それ以上でも以下でもない、と。

私はこういった現状は憂慮すべきことであり、改善されるべきだと思っています。
いってみれば、多くの人にドグマとして無自覚に共有されている受身の「計画」観念から脱却するべきなのです。

もし登山口や警察署においてあるような登山計画書が、各登山者の登山計画のレビューを促すように機能させるのであれば、一枚ではなく少なくとも2枚程度にし、一枚目を行動概要とし、二枚目にその時期の、その山域の登山で必要になりそうな項目を洗い出したチェックボックスを設け、ゲームのように点数をつけさせればよいと思います。

また登山口には、大きな看板を立て、ルート以外の情報(天候リスクや装備、中高年のよくある事故形態)をイラストでわかるように掲示するのも、計画をレビューさせる、ひとつのアイデアです。

計画から準備段階の共有

また、旅行会社においては、伊豆ハイキングクラブの生還事例から学ぶべきことは数多くあります。
そのひとつがツアーにおけるチームワークの欠如です。伊豆パーティが報告書にあるような共助(Mutual help)が可能だったのは、登山計画を企画段階から共有し、ともに準備してきた、お互いのコミュニケーションの風通しのよさだったといえそうです。
これをヒントに旅行会社には、いくつかのことを提案できそうです。
まず、登山企画への参与の仕掛けをつくれないでしょうか。
これまでのような登山プランの一方的な通告→契約という流れではなく、消費者の受身の姿勢をいかに変えるかがポイントです。パーティの一員である、という意識を事前に促すように交流掲示板を設けるというのも手です。例えば北海道大雪ツアー総合掲示板、という具合にスレッド式にします。案内や問い合わせはすべてその掲示板経由にしてしまうのです。


提言というのは、例えばこういうことをしたらどうか、というのが本当の提言です。永遠の課題だ(P43)、といってごまかすのは誠実とはいえません。
また、

(4)ツアー会社におけるガイド管理体制の確立が急務であろう。特に登山の安全性に配慮した「業務マニュアル」を作り、忠実に実行するよう徹底させるべき(P45)

なんていう中身のない提言は7月17日の時点でも既にいえたことであり、専門家でなくとも結果論から誰でもいえることです。
そうではなくて、ではどんなマニュアルが必要なのか、という点に言及するのが本当の意味でのアドバイスであり、提言であり、教訓の抽出であるはずです。
そこまで踏み込んでほしかった、というのが正直なところです。

また欲をいえば、この報告書が「中高年のためのトムラウシ山ガイドブック」として活かされることまで想定されれば、なおよかったかと思います。

旅行業界は身の丈にあった登山計画を

IMSAR-J - 「トムラウシ遭難事故を考える」シンポジウムの資料集配布
http://www.imsar-j.org/images/stories/tomuraushi_data6_12.pdf
において、マスコミの問いに対する、登山専門旅行会社の見解として、
アルパインツアーサービス株式会社の黒川社長が次のように述べています。

Q14.今回のような事故を繰り返さないために、旅行業界ではどう対応していきたいと考えているのか?
A. 2004 年6 月に発表している、「ツアー登山運行ガイドライン」を厳守することが遭難事故を予防することにつながると考えている。このガイドラインに書かれていることは、プロの登山リーダーから見れば当たり前のことばかりだ。このガイドラインに照らしても、なぜ、このような未曾有の遭難事件に拡大してしまったのか疑問が残る。
ガイドラインには、「参加者が余裕をもって行程を消化できる具体性のある計画」で「危急時における具体的対応ができること」としてある。言葉としては簡単だが、これを具体策として実現するには生半可な山の知識と経験ではできない。
重要な点は、「疲労困憊の参加者を漫然と歩行させないこと」ではないか。さらに、直前情報収集の重要点として、「出発数日前からの気象変化の予測」、「登山道の状況把握」、「ルート上の有人無人の山小屋利用の可能性の確認」がある。
ガイドラインがあるのだから、そこに書かれていることが自社でおこなわれているかを各社が徹底して検証し、不足があれば補わなければならない。

旅行業界が目標とする計画について十分な安全性を確保した計画を立案できないのであれば、高すぎる目標をさげるのがもっとも安全に資すると私は思います。
問題解決の道筋はつねに二通りしかないのです。
自分自身のキャパシティを上げるか、目標をさげるか。
2百名山や3百名山ツアーには、ヒヤヒヤものの企画がしばしばあります。
この際、身の丈を考えたら中止したほうがいい、と思うような企画も多いのではと思います。
つまり、企画そのものをやめる、というのもひとつの解決方法なのです。なにも優秀なガイドをそだてまっせ、というだけが解法ではありません。
本報告書も先の神戸のシンポジウムの資料も、この点に完全に目くらまし状態になっています。
というより、一流といわれる登山家もふくめてまともな計画策定をしたことがない人が多いから全くピンとこないのだろうと思います。人は経験を積めば積むほど経験知に頼り、初心を忘れる傾向にあるのです。そしていつしか自分の経験が認知バイアスとなり、状況を都合よく判断してしまう傾向を生みだし、事故を起こす。「ベテランがなぜ」というわけです。中高年の登山事故にも全く同じ構造がみられます。身体能力の過信です。ベテランであることときちんとした行動計画が立案できることは全く別の話なのです。

ガイドを質を高めれれば、ガイドが計画の不備を補完するので、旅行業界も安心して背伸びした計画を実施できる、という解決の道筋は、ガイドも旅行業界にぶら下がって共生関係を維持できる、つまりWin-Winの関係をあからさまに表明ないし追認するものです。
そこに置き去りにされているのは、参加する客の立場であり、近年急増する一般登山者の事故への処方なのです。

日本山岳サーチ・アンド・レスキュー研究機構は事故調査法の開発に着手するといっています。
それは大切なことですが、問題解決のフレームワークについて、横断的に他の分野を学ぶなど、もう少し腰をすえたレビューが必要です。山の世界の視野の狭さをまざまざとみせつけられた思いがします。

アミューズトラベル社への期待

最後に。
アミューズトラベル社は、昨年8月、事故の調査を日本山岳ガイド協会に委託し、こうして今、最終的な報告がなされました。
今度は、アミューズトラベル社が誠意をもって応答する番でしょう。
御社が擁する優秀なスタッフ陣を活用して、議論を重ね、ぜひ教訓をムダにしない努力を業界全体に広げてください。

この報告書の弱いところを繰り返し述べてきましたが、それでもこの報告には今までにないほど教訓がつまっており大変貴重です。
それを活かすことができるか、また同じ業界で悲劇を繰り返してしまうかは、御社の今後の対応にかかっています。
重石を背負った企業として責任を全うしてください。